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攻め続けた夏、今週のプロフェッショナルは競泳コーチ 平井伯昌さん45歳。

北京オリンピック、平泳ぎ決勝の北島1位の瞬間が出ています。

そして中村礼子の背泳ぎは3位。

偉業の影にいた二人のコーチ、平井伯昌(のりまさ)さんの仕事の流儀。

高地での合宿、泳法改良。

北島は一回りも二回りも大きくしてくれたといい、中村は心の支えと言っています。



6月初め。

代表選手たちと調整を続けていた。

オリンピック前は代表選手たちのコーチだが普段は子供達にも教えている。

水泳というのは真面目な子だけが生き残れるという。

五輪代表選手は北島と中村ともう一人上田春佳(20)の三人が選ばれた。

平井が手塩にかけて育ててきた選手たち。

レースで勝つために一つのことにこだわる

「攻め」の泳ぎを貫く

スタート台のところで両脇をつかんでいた中村。平井は縦につかむように指導していた。

難度は高いがスピードが違うという。

北島はひと月前に肩の強い痛みがあった。治療を続け今は追いこみの時期。

北島にはライバル、ハンセンがいて相手はかなり強力である。

五輪前の公式試合でいい結果をだし弾みをつけたかったが再び痛みが出た。

ビデオを見てきづいたことがあった。

水面に体を出すとき立っている。このフォームを治せば痛みも消える可能性がある。

話題の水着を着用させ、公式試合に挑んだ。1秒の短縮。驚異的な勝利。

そして1か月の高地合宿。

練習後もコーチの仕事は続く。

北京への戦略。北島、200メートルはめどがついたが100メートルはまだ改良の余地がある。

中村は精神面の改良が必要。守りの姿勢が目立っていた。

「選手の一歩先を歩く」

アメリカの代表選手を聞き、弱気になってないかと心配するコーチ。

翌日中村を外に連れ出し1時間話をした。

ハンセンは200の代表落ち。北島の最大のライバルが。北島の出した記録がプレッシャーになった様子。

「精神は体で鍛える」

全力で100mを10本、50Mを16本。タイムが落ちないように気をつける。

平地で行っても過酷なトレーニング。

心拍を見ながらの調整。


「スタジオin」

録画は五輪前でしたが、この頃メダルへの手ごたえはどうでしたか?(茂木)

北島の200は確信があったが100は半々だと思ってた。(平井)

中村はあそこからが勝負でメダルは見えてなかった。

北島の肩の故障については今年3度目。ハラハラしていた。

北島はレース前には集中力が高まり野獣のようになってくる。

そこにフォームが崩れ痛みがあると精神面で良くない。トレーニングを積んだ自信が崩れてしまう。

仕事の道具はパソコン。ストップウオッチ、2個。5円玉をはさんでいます。自分の目印と外国のコーチに

見せるために。

PC画面2分割して同時にレースを映し、フォームの研究。

メンタル面の強化は特に五輪には大事。ハードトレーニングを乗り越えたとき精神面でも強くなる。

平井は5歳でスイミングスクールに通い、大学は早稲田の水泳部。

選手としては芽が出ず、3年でマネージャーになって新人の練習をみた。

練習メニューを考え気づいたことを指摘した。人を育てる面白さに目覚めた。

就職は大手保険会社に内定。しかし選手を育てたいと思い、スイミングスクールに就職。

ジュニアコースを任された。その合間に有名コーチに合い、指導法を学んだ。

そして北島発掘。当時中学生の北島はタイムが良かったわけではないがその目をみて五輪を目指そうと

思った。芯に強いものをもっていたという。北島に弱気にならず攻めて泳げといい続けた。

17歳でシドニー五輪に出た。200の予選で軽めに泳いでいいといった。結果は17位。予選落ち。

北島に謝った。

「すまない俺のせいだ」

リベンジを誓った。何が何でもメダルをとる。

翌年の世界選手権。100の決勝までハッパを掛け続けた。この時北島、後半失速し4位。

鈴木大地のコーチ@鈴木陽ニに声をかけられた。

欲が出すぎている。選手にプレッシャーになる。

選手と同じように熱くなってはレースを導くことはできない。

「選手の一歩先を歩く」

翌日の200.他の選手を必死に観察。レース展開をたて、後半勝負の戦略をたてる。

100から150はちょっと落とせ。175からスパートに入る。

自分のレースをしよう。結果は後からついてくる。そして予想通りの展開となり銅メダル獲得。

3年後のアテネ、2種目で金。コーチとなって15年めの栄冠。



「再びスタジオ」

北島発掘のとき、いい目をしてたというがどんな顔でしたか(茂木)

穏やかそうな顔がレース前になると鋭い目付きに変った。がりがりだったのに強そうに見えた。

逆の子はたくさんいるが・・。最近でもレース前の北島は近寄りがたい雰囲気をかもし出す。

小学1年の北島が平井コーチに「かぼちゃ」と言ったエピも披露。このころは普通の子だったはずなのに

なんか今の結びつきを暗示させるものがあったのかも。


シドニーの失敗については、コーチ自身が舞い上がっていて良く覚えてない。

北島に謝ったらうなずいていたからがっくり着てると思った。

北島と一緒にコーチも成長しているように見える。

北島よりも1歩でも半歩でも進んで導きたいと思っている。

選手に対することで大切にしていることは?

「ウソをつかないようにしている」良くても悪くてもそのまま。


北京五輪の200はメドがたったが、100はまだ。

大胆な泳法改良を考えていた。

200のゆったりしたピッチを100にも近づけようと考えていた。

大きいゆったりした泳ぎは結果的に疲れにくい。

中村のフォームも考えていた。けりが弱い。バサロの回数など変更したいところはある。

しかし本人は乗り気ではなかった。


北京入り。

攻めの泳ぎをする。

北島のライバルのハンセンがよくない。アレクサンダーが代わってでてきた。

100の準決勝。北島は予選よりもタイムを落とした。予想外の出来事。

不十分なアドバイスで北島を惑わせたかもしれない。

次の予選前には「タイムをあげていく」と声をかけた。ダーレオーエンにプレッシャーのつもり。

それが北島の力みを誘い、これまでの大きな泳ぎがなくなった、18ストロークが19ストロークに

なっていた。

アテネ後、故障が続き、勝って当然というプレッシャーにもがき続けた。

ようやくたどり着いた北京の決勝。負けるわけにはいかない。

準決勝を分析し、修正にとりかかった。

スタートの足の歩幅を小さく。泳ぎの修正は大きくゆったり。テンポをあげる。どちらも同タイムであること

で大きく泳いでも、タイムは落ちないことを確認。

そして決勝。

踏み台を丁寧にふいた北島。

100の決勝。スタートが決まり、トップにならんだ。

ゆったりとした大きな泳ぎ前半は16ストローク。後半爆発。58秒91世界記録。

平井のレース運びを100%信じた勝利。

北島がコーチに金メダルをかけた。


金メダルの瞬間覚えてますか?

ハイ。

50をターンしたとき、勝てると思った。ゴールタッチするまで見守ろうと思った。

掲示板が世界記録とあって感無量でした。

でむかえには行かずっと待ってた。待ってるうちに泣いてしまったが、

「先生の読みどおりでした」と北島がやってきた。

準決勝のとき、力みががあったけれどお互い口にしないでいた。

あの時は19ストロークで決勝は16ストローク。

フォームが完成されていて完璧だった。

コーチのいうことを信じてついてきてくれた北島。

その北島も大きな舞台で冷静に試合運びができる。


その翌日は中村礼子の決勝。100の背泳ぎ。予選よりもタイムを落とし6位。

平井は中村は精神的ものが大きいと感じていた。自分の作戦ミス。

アテネの銅メダルのあとも猛練習したが差は縮まらない。

200は絶対にメダルをとらせたかった。

2日後。200の予選突破。練習では体が重いという。弱気があると判断。50のタイムトライアル。

そして準決勝を通過。決勝に進出。

トップの二人は世界記録レベル。勝てる見込みは少ない。最大のライバルはべイゼルの3位争いになる。

「やってきたことを信じろ」

50のターンは4位。

100のターンここからロングスパート。

最後のターン。2分7秒13 日本記録

自己ベストを更新。自分との戦いに勝った。コーチが「礼子」と叫んでいた。


今回のオリンピックは選手の一歩先を歩いてたと思いますか?

そういう風に信じてます。


攻め続けた北京の夏。

プロフェッショナルとは

忍耐心と克己心を強くもてる人。

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感動でしたねえ・・

この平井コーチに密着すると言う予告が6月ごろには出ていたのですが

もしも五輪で結果が出てなかったらこの企画はどうなるのかやや心配でした。

でも杞憂でしたね。

すばらしい。

精神的な重圧と体にかかる負荷での故障と、選手は常にプレッシャー。

それをはねのけて結果を出しました。

選手とコーチの二人三脚と言いますが本当にその通りなんですね。

一歩先を歩き、冷静な試合運びができる師であることが大事なのですね。


北京のレースの裏側をこの角度で見てますます面白く感じました。




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