06/04/2008 NHKプロフェッショナル 未公開トーク
キーワードは「歌舞音芸」だそうです^^
この番組で過去に放映した中から未公開部分を特集したようですね。
トップは歌舞伎役者、坂東玉三郎さん。
「妥協なき日々に美は宿る」
歌舞伎の女形ですが、女形といったらこの人が代名詞ですもんね。
お化粧を落としたらけっこうおじさん。でも目がくりくりしてどこか愛嬌があるのね。
あ、「阿古屋」を出してくれました~~♪
体の線が斜めになり全部の動きにしなをつくり、少しずつ女性美になるのね。
これは玉三郎だけが演じることができる演目。
お化粧は全部自分でしているという。10歳からだそうです・・・
お化粧から役作りが始まる。目張り。口、眉毛と役造りの一歩・・
肌がつやつやしてきれいです。
70日間は舞台に立たず何もしない。海にもぐってるとか。
七つ道具として化粧箱。塩がありました。舞台に立つ前に誰かにふってもらうのだそうです。
ほぼおまじない。
化粧は白紅墨の三色があれば基本、なんとでもできる。
またビロードの小片もありました。
浴衣を着た茂木さんと住吉さん。茂木さんが何かおかしい~~
曲線を作ると女らしくなると教授してくれる玉三郎さん。
少し角度をかえ、片方の肩を落とすだけで見違えるように変わります。
「いつか踊れなくなるかもしれない」
音楽と絵の勉強を25歳のときからしている。
心では踊りたいと思っても踊れなくなるときが来るかもしれないと思う気持ちは常にあった。
何を目指して踊るのか?
観客も自分も踊りではなく魂を見たというような踊り。踊りではなく感覚が残っているというような。
次はバレリーナ、吉田都さん。
英国ロイヤルバレエ団のプリンシバル。10年。
「自分を信じる強さを持て」
高速のターンや複雑なステップと言ってますが、「ロイヤルの至宝」と評される
その舞台の踊りを映してくれました。
華麗です。動きが速くて技巧的にも見えます。
凄いですね。40歳過ぎてるそうですよ@@@@@
それを支えるのはトウシューズ。新しいシューズを叩いてます・・合うように治すのも仕事。
4~5足は持ち歩いてるそうです。
踊る曲目にあわせて硬目とかバランスを見たりすると多くなるという。
1日で履きつぶすこともある!
ニッパーやカッターで切ることもします。大工さんみたい。
「大英帝国勲章」も受賞しています。
立っていながらそのままの姿勢に見えて、次のステップをしている・・不思議な踊り方。
このトップの座を維持してるのは終わったあとの復習イメージトレーニング。
全幕、反省して思い出して頭の中でステップをしている。
次はこうしようとフィードバック・イメージをすることが次につながる。
17才。コンクールで優勝したときに留学した。
しかしソコは欧米。手足の長いライバルたちがひしめくなか、極めるのは大変だった。
そこで「自分のできることを頑張ろう」という方向に向かった。
負けたくない!
バレエに向いた体で生まれた人達には負けたくない。
この体型で私にできることで勝負したい。
この思いがバレエを続けさせてきた。
プリンシバルになって逆に重圧がのしかかってきたという。
30代で引退する人も多い中、今も続けられる原動力は?
まだ理想の境地に達してないということと好きだから続けられるということ。
最後は音楽プロデューサー、武部聡志さん。
「もらい泣き」の一青さんのデビューを彩ったのはこの人。
アーティストの紡ぎだした言葉を多くの人の胸に届くようにするのも仕事。
一青さんが歌詞を考えているところにいました。
アーティストのデビューを担当するのが武部さんにとっては生きがいのようです。
携わったアーティストのリストがありましたがすべて初期のことに扱ってるそうです。
平井堅、TUBE,久保田利伸・・・・有名な人がごそっと書かれてます。
一青さんとは初めて会ったときに歌詞に強烈に引かれたそうです。
歌いまわしには涙が出たといいます。
ところがレコード会社を回るとみんな断るんだそうです。
時代がまだ一青を呼んでなかった。そのときからいつか見ておれと思ってた。
そして売れた!
松任谷由美とは長く音楽監督をつとめてきた。
今井美樹も出ました。
アーティストの個性を尊重することにこだわるのはなぜ?
「リアリティ」
歌っている人のリアリティが人の心に響く。
バックボーンも挫折もその人の持つ血も全部含めて。
本人がわからなければ話をして聞き出す。
過去の恋愛も、家族も、学校でどんな先生に何をおそわったのか・・・全部知りたい。
そこで本人の持ち味が見えてくるという。
弱点が武器になるという。
挫折やトラウマや苦しみを味わった人の歌だから訴えるものができ、人々は聞きたいと思うもの。
その力を引き出すために大事なことは?
自然に出せる環境を作ってあげる。
だから先に自分の弱さをみせてあげる。強くでることはしない。
具体的には悩む姿を見せるとか?
苦手なことも言うし、トラウマも言う・・・。
相手が同じだと言う風に、自分に共感してくれるということが大事。
3人の達人のお話でした。
オンエアを見てないので秘話だったのかどうかはわかりませんが、
舞台を映してくれたり大サービスでしたし。面白かったです。
その道の第一人者の言葉には説得力がありますね。
吉田都さんは知らなかったのですが、舞台を見てその踊り方に凄さが見えました。
トウシューズで立った状態で動いているのに止まってるように見える。
その筋肉のあり方はすごいと思いました。
優雅さの中に身長のハンデを差し引いても魅せるバレエでした。
次は獣医師 斉藤慶輔さん
05/28/2008 NHKプロフェッショナル (UNHCR ウガンダ・リラ事務所長 高嶋由美子)
UNHCRとは「United Nations High Commissioner for Refugees」国連難民高等弁務官事務所。
ここで働く女性、高嶋由美子さんの活動についてのレポートです。
難民支援のプロフェッショナル。
07年にケニアで起きた暴動により逃げてきた難民達がこの高嶋さんを取り囲んでいます。
UNHCRとは緒方貞子さんがかつて代表を務めていた国連の難民支援機関です。
高嶋さんはアフリカウガンダ支援の最前線に立っています。
人々が囲んでいますが、この避難所は皆さん一人ひとりで作っていく場だと演説しています。
難民支援という職業。
高嶋の基本理念は難民だからと人の価値が下がる事はない。
その人の尊厳を大切にしたい。それだけはなくなって欲しくないと思う。
かつて救えなかった人々がいた。その時の思いが彼女を支えている。
「人は強い。希望は消えない」
ウガンダ北部の町リラの一軒家に高嶋は住んでいる。事務所まで車で5分。
高嶋はアフガニスタンや東ティモールなど扮装地帯を回ってきた。難民支援のエキスパート。
アフリカは6年におよぶ。
目の縁が黒い方。アイライン塗ってる?目を見開いて話すしぐさは堂々たる国際人。
月の半分以上は、ウガンダ各地の避難所を回っています。
高嶋が行ったところはケニアの暴動で逃れてきた2000人の難民キャンプ。
給水車で40tの水を運び食料、生活用品などの支援。
避難所では人々に声をかけて回る。高嶋が扱うのは13箇所もあるという。
順繰りに回っているそうで、人々は高嶋の顔を一週間ぶりに見たと飛びついています、
そして相談者が押し寄せてくるが一つ一つの話を丁寧に聞くことが高嶋のポリシー。
「叫びに寄り沿う」
家族や財産を奪われて自暴自棄になった人々の叫びに高嶋は寄り添う。
話を聞き、話したくても声にならない声を聞くだけでも難民の支えになるのではと思う。
キャンプは暮らしやすいわけがなく人々は不満が充満してるはず。
だからこそ高嶋は努めて明るい笑顔をふりまき、空気を明るくしている。
笑いさえあれば前向きになれるというのが最前線で身につけたスタイル。
高嶋には生活用品の支給など直接の支援と同時にもう一つの重要な仕事がある。
それは難民たちの今後についても道筋をつけること。
ウガンダ政府役人との話し合い。難民達の移住について。政府との交渉。
「熱い心と冷たい頭をもて」
問題は移住したくないと言う人たち。どうお考えですか?役人にきいてみる。
熱い心だけでは難民は救えない。冷たい頭で冷静に交渉する技術も必要。
高嶋さんは一人暮らし。自炊のキッチンのシーンも映してくれてました。
冷蔵庫もない生活で、その日に食べるものはその日に買ってくればいいとあとで話してましたが
普通に洗剤を使ってお弁当を洗ってました。水は確保できてるようです。
この日は親子丼をつくるとたまねぎを切っていました。
ハズバンド募集中。
3月末。難しい案件を抱えていた。
ウガンダ北部の非難してきた1300人が住むこのキャンプを政府が閉鎖すると連絡してきた。
すぐに難民達の今後を考えないといけない。
なぜ故郷に戻らずこのキャンプにいるのか理由を教えてほしい。と高嶋が問う。
ここには子供を連れ去られたり殺されたりした年寄りが大勢いる。
元いた場所に戻っても自力で家を建てる手立てが一切ないという。
またゲリラに捕まり殴られて目が見えないために援助を受けるしかないと謂う人も。
しかしキャンプが閉鎖されたら支援ができなくなる、地元の自治体tが支援を引き継ぐというが未知数。
だからここは本当のことを言う。
「本音でぶつかる」
ごまかさないで本当のことを言います。ただ待っていてもこれからは十分な支援を受ける事はできな
いと思うと告げました。そしてさらに厳しく続けます。皆さんは貰うことばかりを求めています。
自分でできないのなら助けてくれる人は他の氏族にいませんか?
ただ援助を待つ人たちに苦しくても自分で道を開くことを教えていく。
正論やキレイごとだけでは道は開かれない。
スタジオin
休暇をとって帰ってきた高嶋さん。
大げさなくらいに笑顔を向けてくれてますが、VTRでも努めて笑顔を提供していた高嶋さんでした。
落ち込むときはとことん落ち込むことにしているそうです。アロマを取り入れたり。
脳科学的にはバランスをとろうとするから、ちょうどいいと茂木さん。
ハズバンド募集中と出ていましたが理想のタイプは家では何でも決断してくれる人。
仕事で厳しい決断を迫られている高嶋さんらしい答え。
七つ道具は大きいバッグにポーチがいくつも入っていました。注射針もあります。
もしも何かがあったらコレを使ってくださいという。身を守るために持っているんだそうです。
泊まる予定はなくても雨で車が動かせないときは車中一泊なんて普通のところだそうで下着も。
昼抜きのときも多いから血糖値をあげるためにアメなども常備。
電気は一日おきにくるというので冷蔵庫は使ってないといいました。
だから日本に帰ると蛇口から水が飲めると感激だそうで、小さな幸せをいくつも感じるそうです。
3月下旬。
イースター祭。
この仕事の原点はかつて味わった大きな挫折。
大学はイギリスのエセックス大学に留学し、国際的な仕事に興味をもった。
専攻は国際政治。紛争地の問題解決。しかし94年、アフリカ、ルワンダで起きた大虐殺にショックを
受けた。部族間の争いで数ヶ月の間に80万人が殺された。
なぜ人は殺しあうのか。どうしたら争いを解決できるのか。
この時の映像は酷いです。たくさんの死体が転がるところを映していました。
そして高嶋は自分は現場のことは何も知らないということに気づきます。
29歳の時に現場に飛び込もうと決心。
この時にUNHCRを選んだ。
紛争地を希望し、スーダンや東ティモールに赴任。
現場を走るうちに人々を助ける醍醐味に気づきのめりこんでいった。
転機は2年後。タイに派遣された高嶋。
ミャンマーの内戦から逃れてきた少数民族の人々をキャンプに移し保護。
ある日、40人ほどのグループが高嶋のところにたどり着いた。
さっそく難民として登録しようとしたところ、予期せぬことが起こった。
正式な入国がタイ政府に却下された。理由は明かされなかった。
高嶋は猛烈に抗議したが決定は変わらなかった。
3日後、国境まで人々に付き添った。別れの時だった。
それまで気丈に振舞っていたリーダーが泣きながら訴えた。
「帰ったら、殺される」
どうしてこうなってしまったんだろう。ふさぎこむばかりの日々。
そんな時ある本の一説が飛び込んできた。かつての代表緒方貞子さんの記した言葉。
熱い心と冷たい頭を持つ。
自分はあの時、冷たい頭を持ってあらゆる手立てを尽くしただろうかと。
そしていっそう難民支援の仕事にうちこんでいった。
アフガニスタンでは現地スタッフを動かし短期間で5万の家の建設。
ケニアでは政府を動かし6000人の難民の登録。
熱い心と冷たい頭でアフリカを飛び回る。
どんな思いでタイの難民の「帰ったら殺される」という声をきいたのか?と茂木さんが聞いてますが・・
泣きそうでしたね・・かわいそうに。
人間の一番辛いところは、自分がやらなきゃいけないと思っていることができないときがある。
あの時はなんてことをしたんだろうと自分を責めていました。
もちろんやる事は全部やったといういい訳はあったけれど、心の中では取り返しのつかないことを
してしまったという思いが残っています。冷たい頭で手を尽くしたのかどうか・・。
その後、難民たちがどうなったのか情報は色々入ってきたけどはっきりとはわからなかった。
恐らく難民たちは政府に反抗してでもこの高嶋さんの一存で匿ってほしかったのでしょう。
しかしそれをするには高嶋さんは若すぎたし、経験もないし。高嶋さん自身もどうなるかわからないわ
けでとても無理な状況だったのですね。どれほど自分を責めたかと可哀想でした。
難民の人たちは何もかも失っているけれど、基本的な可能性は失っていない。
人々が持つ強さが自分を支えてくれているという。
テント生活の難民たちの視察。雨がひどく溝を作っても全部ぬれてしまう。定住地を移動しないと
いけない。ウガンダ政府に再三要請してきたが返事がこれまでなかった。
しかし今回は、返事がきた。定住できるキャンプの候補地を示してきた。
スーダン難民の暮らしている大規模難民キャンプを共同で使わせてくれるという。
下見に行く高嶋さん。
敷地には学校もあり家だけではなく畑も与えられるという。
報告者は店も開けるし自分達で商売もできると言います。
またある人は子供を育てるにはいい環境だといいました。
でも全員一致とはいかない。
故郷に帰りたい人もいる。
UNHCRとしては人々の意思を尊重することが大事。
可能性があればその気持ちを優先するという高嶋。
しかしここでケニア政府から移住の時期を延長という知らせが入ってきました。
すぐに大使に訴える高嶋。
ケニアに視察に行かせて欲しいと申し出ました。
2週間後、難民達代表と一緒にケニアに向かう高嶋さん。
2ヶ月ぶりに戻ったそうですが村に近付くにつれその残虐の名残はそのまま残っていたことに
ややショックをうけているお年寄り。
焼け落ちた教会には建物に火をつけられ閉じ込められた子供達10人が死んだという。
長老にこの村に帰りたいかと聞く高嶋さんですが、老人は帰りたくないと言いました。
キャンプに帰り説明していましたが、恐怖が甦り、今はまだ変えるときではないと言っています。
ここから人々は意見がどんどん出て騒然としています。
高嶋さんはその様子を黙って見守ってます。
「自分で決めてこそ。」
どんなに私達があなた方を気にかけていても
私達はあなたの代わりにはなれません。決定を下すのはあなた方です。
あなた方一人ひとりです。ここにいない人にも伝えてほしいという高嶋。
2日後。移住の申請。
ほとんどのひとはウガンダキャンプに移住することを選んだが、ケニアの村にいった長老は
ウガンダにとどまることにした。
ケニアに帰るという人もいた。
難民たちにはこの後も困難が押し寄せてくるが自分で決めた道なら開けるはずだという。
一人の赤ちゃんを抱いたお母さんがきました。
名前は「ユミコよ」
高嶋さんの名前をつけていたのでした。
嬉しそうな高嶋さん、赤ちゃんを抱っこしてあやしています。
「プロフェッショナルとは?」
自分の中にいつも疑問を呈する人。
チームの中でモチベーションが高められる人。少しでも前に行く人。
タイの出来事はショックだったでしょう。
29歳で国連に入り2年目という時。
こういう時の解決は誰にもできないことだったのね。
この辛さを経験したから今の高嶋さんがあるというのでした。
しかし、ものすごい活躍ですね。
飛行機恐い、虫嫌い。。など、文句ばかり出る身としては本当に頭が下がりました。
笑顔がチャーミングな高嶋さん。
彼女の笑顔には人をほっとさせるものがあります。
厳しく辛い思いをしている難民たちが高嶋さんに飛びついていく気持ちがよくわかりました。
この仕事でたくさんの人を救ってあげてください。
次回は
歌舞伎役者 坂東玉三郎さん。
難民支援のプロフェッショナル。
07年にケニアで起きた暴動により逃げてきた難民達がこの高嶋さんを取り囲んでいます。
UNHCRとは緒方貞子さんがかつて代表を務めていた国連の難民支援機関です。
高嶋さんはアフリカウガンダ支援の最前線に立っています。
人々が囲んでいますが、この避難所は皆さん一人ひとりで作っていく場だと演説しています。
難民支援という職業。
高嶋の基本理念は難民だからと人の価値が下がる事はない。
その人の尊厳を大切にしたい。それだけはなくなって欲しくないと思う。
かつて救えなかった人々がいた。その時の思いが彼女を支えている。
「人は強い。希望は消えない」
ウガンダ北部の町リラの一軒家に高嶋は住んでいる。事務所まで車で5分。
高嶋はアフガニスタンや東ティモールなど扮装地帯を回ってきた。難民支援のエキスパート。
アフリカは6年におよぶ。
目の縁が黒い方。アイライン塗ってる?目を見開いて話すしぐさは堂々たる国際人。
月の半分以上は、ウガンダ各地の避難所を回っています。
高嶋が行ったところはケニアの暴動で逃れてきた2000人の難民キャンプ。
給水車で40tの水を運び食料、生活用品などの支援。
避難所では人々に声をかけて回る。高嶋が扱うのは13箇所もあるという。
順繰りに回っているそうで、人々は高嶋の顔を一週間ぶりに見たと飛びついています、
そして相談者が押し寄せてくるが一つ一つの話を丁寧に聞くことが高嶋のポリシー。
「叫びに寄り沿う」
家族や財産を奪われて自暴自棄になった人々の叫びに高嶋は寄り添う。
話を聞き、話したくても声にならない声を聞くだけでも難民の支えになるのではと思う。
キャンプは暮らしやすいわけがなく人々は不満が充満してるはず。
だからこそ高嶋は努めて明るい笑顔をふりまき、空気を明るくしている。
笑いさえあれば前向きになれるというのが最前線で身につけたスタイル。
高嶋には生活用品の支給など直接の支援と同時にもう一つの重要な仕事がある。
それは難民たちの今後についても道筋をつけること。
ウガンダ政府役人との話し合い。難民達の移住について。政府との交渉。
「熱い心と冷たい頭をもて」
問題は移住したくないと言う人たち。どうお考えですか?役人にきいてみる。
熱い心だけでは難民は救えない。冷たい頭で冷静に交渉する技術も必要。
高嶋さんは一人暮らし。自炊のキッチンのシーンも映してくれてました。
冷蔵庫もない生活で、その日に食べるものはその日に買ってくればいいとあとで話してましたが
普通に洗剤を使ってお弁当を洗ってました。水は確保できてるようです。
この日は親子丼をつくるとたまねぎを切っていました。
ハズバンド募集中。
3月末。難しい案件を抱えていた。
ウガンダ北部の非難してきた1300人が住むこのキャンプを政府が閉鎖すると連絡してきた。
すぐに難民達の今後を考えないといけない。
なぜ故郷に戻らずこのキャンプにいるのか理由を教えてほしい。と高嶋が問う。
ここには子供を連れ去られたり殺されたりした年寄りが大勢いる。
元いた場所に戻っても自力で家を建てる手立てが一切ないという。
またゲリラに捕まり殴られて目が見えないために援助を受けるしかないと謂う人も。
しかしキャンプが閉鎖されたら支援ができなくなる、地元の自治体tが支援を引き継ぐというが未知数。
だからここは本当のことを言う。
「本音でぶつかる」
ごまかさないで本当のことを言います。ただ待っていてもこれからは十分な支援を受ける事はできな
いと思うと告げました。そしてさらに厳しく続けます。皆さんは貰うことばかりを求めています。
自分でできないのなら助けてくれる人は他の氏族にいませんか?
ただ援助を待つ人たちに苦しくても自分で道を開くことを教えていく。
正論やキレイごとだけでは道は開かれない。
スタジオin
休暇をとって帰ってきた高嶋さん。
大げさなくらいに笑顔を向けてくれてますが、VTRでも努めて笑顔を提供していた高嶋さんでした。
落ち込むときはとことん落ち込むことにしているそうです。アロマを取り入れたり。
脳科学的にはバランスをとろうとするから、ちょうどいいと茂木さん。
ハズバンド募集中と出ていましたが理想のタイプは家では何でも決断してくれる人。
仕事で厳しい決断を迫られている高嶋さんらしい答え。
七つ道具は大きいバッグにポーチがいくつも入っていました。注射針もあります。
もしも何かがあったらコレを使ってくださいという。身を守るために持っているんだそうです。
泊まる予定はなくても雨で車が動かせないときは車中一泊なんて普通のところだそうで下着も。
昼抜きのときも多いから血糖値をあげるためにアメなども常備。
電気は一日おきにくるというので冷蔵庫は使ってないといいました。
だから日本に帰ると蛇口から水が飲めると感激だそうで、小さな幸せをいくつも感じるそうです。
3月下旬。
イースター祭。
この仕事の原点はかつて味わった大きな挫折。
大学はイギリスのエセックス大学に留学し、国際的な仕事に興味をもった。
専攻は国際政治。紛争地の問題解決。しかし94年、アフリカ、ルワンダで起きた大虐殺にショックを
受けた。部族間の争いで数ヶ月の間に80万人が殺された。
なぜ人は殺しあうのか。どうしたら争いを解決できるのか。
この時の映像は酷いです。たくさんの死体が転がるところを映していました。
そして高嶋は自分は現場のことは何も知らないということに気づきます。
29歳の時に現場に飛び込もうと決心。
この時にUNHCRを選んだ。
紛争地を希望し、スーダンや東ティモールに赴任。
現場を走るうちに人々を助ける醍醐味に気づきのめりこんでいった。
転機は2年後。タイに派遣された高嶋。
ミャンマーの内戦から逃れてきた少数民族の人々をキャンプに移し保護。
ある日、40人ほどのグループが高嶋のところにたどり着いた。
さっそく難民として登録しようとしたところ、予期せぬことが起こった。
正式な入国がタイ政府に却下された。理由は明かされなかった。
高嶋は猛烈に抗議したが決定は変わらなかった。
3日後、国境まで人々に付き添った。別れの時だった。
それまで気丈に振舞っていたリーダーが泣きながら訴えた。
「帰ったら、殺される」
どうしてこうなってしまったんだろう。ふさぎこむばかりの日々。
そんな時ある本の一説が飛び込んできた。かつての代表緒方貞子さんの記した言葉。
熱い心と冷たい頭を持つ。
自分はあの時、冷たい頭を持ってあらゆる手立てを尽くしただろうかと。
そしていっそう難民支援の仕事にうちこんでいった。
アフガニスタンでは現地スタッフを動かし短期間で5万の家の建設。
ケニアでは政府を動かし6000人の難民の登録。
熱い心と冷たい頭でアフリカを飛び回る。
どんな思いでタイの難民の「帰ったら殺される」という声をきいたのか?と茂木さんが聞いてますが・・
泣きそうでしたね・・かわいそうに。
人間の一番辛いところは、自分がやらなきゃいけないと思っていることができないときがある。
あの時はなんてことをしたんだろうと自分を責めていました。
もちろんやる事は全部やったといういい訳はあったけれど、心の中では取り返しのつかないことを
してしまったという思いが残っています。冷たい頭で手を尽くしたのかどうか・・。
その後、難民たちがどうなったのか情報は色々入ってきたけどはっきりとはわからなかった。
恐らく難民たちは政府に反抗してでもこの高嶋さんの一存で匿ってほしかったのでしょう。
しかしそれをするには高嶋さんは若すぎたし、経験もないし。高嶋さん自身もどうなるかわからないわ
けでとても無理な状況だったのですね。どれほど自分を責めたかと可哀想でした。
難民の人たちは何もかも失っているけれど、基本的な可能性は失っていない。
人々が持つ強さが自分を支えてくれているという。
テント生活の難民たちの視察。雨がひどく溝を作っても全部ぬれてしまう。定住地を移動しないと
いけない。ウガンダ政府に再三要請してきたが返事がこれまでなかった。
しかし今回は、返事がきた。定住できるキャンプの候補地を示してきた。
スーダン難民の暮らしている大規模難民キャンプを共同で使わせてくれるという。
下見に行く高嶋さん。
敷地には学校もあり家だけではなく畑も与えられるという。
報告者は店も開けるし自分達で商売もできると言います。
またある人は子供を育てるにはいい環境だといいました。
でも全員一致とはいかない。
故郷に帰りたい人もいる。
UNHCRとしては人々の意思を尊重することが大事。
可能性があればその気持ちを優先するという高嶋。
しかしここでケニア政府から移住の時期を延長という知らせが入ってきました。
すぐに大使に訴える高嶋。
ケニアに視察に行かせて欲しいと申し出ました。
2週間後、難民達代表と一緒にケニアに向かう高嶋さん。
2ヶ月ぶりに戻ったそうですが村に近付くにつれその残虐の名残はそのまま残っていたことに
ややショックをうけているお年寄り。
焼け落ちた教会には建物に火をつけられ閉じ込められた子供達10人が死んだという。
長老にこの村に帰りたいかと聞く高嶋さんですが、老人は帰りたくないと言いました。
キャンプに帰り説明していましたが、恐怖が甦り、今はまだ変えるときではないと言っています。
ここから人々は意見がどんどん出て騒然としています。
高嶋さんはその様子を黙って見守ってます。
「自分で決めてこそ。」
どんなに私達があなた方を気にかけていても
私達はあなたの代わりにはなれません。決定を下すのはあなた方です。
あなた方一人ひとりです。ここにいない人にも伝えてほしいという高嶋。
2日後。移住の申請。
ほとんどのひとはウガンダキャンプに移住することを選んだが、ケニアの村にいった長老は
ウガンダにとどまることにした。
ケニアに帰るという人もいた。
難民たちにはこの後も困難が押し寄せてくるが自分で決めた道なら開けるはずだという。
一人の赤ちゃんを抱いたお母さんがきました。
名前は「ユミコよ」
高嶋さんの名前をつけていたのでした。
嬉しそうな高嶋さん、赤ちゃんを抱っこしてあやしています。
「プロフェッショナルとは?」
自分の中にいつも疑問を呈する人。
チームの中でモチベーションが高められる人。少しでも前に行く人。
タイの出来事はショックだったでしょう。
29歳で国連に入り2年目という時。
こういう時の解決は誰にもできないことだったのね。
この辛さを経験したから今の高嶋さんがあるというのでした。
しかし、ものすごい活躍ですね。
飛行機恐い、虫嫌い。。など、文句ばかり出る身としては本当に頭が下がりました。
笑顔がチャーミングな高嶋さん。
彼女の笑顔には人をほっとさせるものがあります。
厳しく辛い思いをしている難民たちが高嶋さんに飛びついていく気持ちがよくわかりました。
この仕事でたくさんの人を救ってあげてください。
次回は
歌舞伎役者 坂東玉三郎さん。
05/21/2008 NHKプロフェッショナル (弁護士 鈴木利廣)
この人達の声を聞いてください。
「私はこんな風にはなりたくなかった。平凡でもいいから走り回りみんなで楽しく笑い転げながら
これからも生活していきたかった。」
オープニングは酸素吸入(?)の患者さんが肩で息をしながら撮影したものでした。
この撮影から4年半後に現福田首相の謝罪宣言がありました。
国と製薬会社を相手にした薬害肝炎の訴訟の件です。
昨年12月に国が謝罪、原告全員の救済を約束した映像は大きく報道されました。
その陰にいたのが120人の大弁護団。
代表が鈴木利廣 61歳。
薬害エイズ、ハンセン病、薬害肝炎。
闘う弁護団の中にはつねに鈴木弁護士の姿があった。
でも人権派弁護士という名は似合わない。戦いの戦略を探る軍師。
薬害肝炎は謝罪があったので解決に向かっていると誰もが思ってたのですが
意外と進展してないそうです。この番組で取り上げたのもそこをプッシュのため?
鈴木弁護士はかつては連戦連敗の弁護士だった。
薬害肝炎第2幕。推定350万人が関わる途方もない挑戦。再び国を動かすために。
「患者の無念 命の闘い」
文京区に事務所を構えている鈴木弁護士。弁護士3人、アシスタント4人。
2畳ほどのスペースが鈴木のエリア。資料の山です。
メールは86通、来てますが、手書きで返事。返信をするのはアシスタント。キーボードがダメ?
鈴木の専門は医療問題。そしてご存知、肝炎問題に力を注いできた。
すっかり有名になったフィブリノゲンというウィルスに汚染された血液製剤を使ったために
感染したC型肝炎の訴訟。出産や手術の止血に使われたものです。1960~1990年代初頭。
30年も放置されていたということなんですね。
C型肝炎は慢性化しやすく自覚症状がないまま進行して肝硬変となりさらに進むと肝臓ガンとなる。
肝臓が悪いと聞いてもピンときませんが、ダルさが普通じゃなく起きていられないほどのものだとか。
例えば40度の熱を出すと酷く具合悪いですがあの状態で熱だけ取ったもの?という感じでしょうか?
暮れに胃腸炎症起こしたけどあの状態ならもう立てませんし何もできません。あんな感じかな・・・。
これが日常なら普通の生活は無理です。
原告の一人が浅倉さん(仮名)次男出産で使用した製剤により感染。急性肝炎となり、家事もできず
入退院を繰り返し、離婚も。家族のささやかな楽しみをこの一本の血液製剤が奪った。涙・・・
許せないと涙する患者さんたち。
鈴木は胸にひとつの言葉を刻んで仕事をしてきた。
「患者の心を 心として」
被害者がどういう思いで被害に耐えて弁護士のところに救いを求めてきたのか。
自分に繰り返し問いかけるという。
先の浅倉さんが鈴木を称して「被害者の側に立った心ある弁護士」と言いました。
「薬害肝炎第2幕」
弁護士40人と原告団の終結。
薬害の救済システムで救われない人が350万人におよぶという。
為すべきことは治療体制作り、基本的には治療体制と医療費の支援。
これを柱に法律を作ってもらうという取り組み。
それまでは血液製剤が争点だったが、B型C型肝炎の感染ルートは他にもあった。
ウイルス対策をほどこす前の輸血。集団予防接種の針の使いまわし。医療行為による感染。
その推定患者が350万人。
感染者を救う法整備が必要だというのが鈴木たち弁護団の主張だ。
医療費助成、再発防止などを盛り込む。
3/10にその要望書を手渡しをした相手が舛添厚労相。
マスコミをたくさん集めたのも戦略のひとつ。メディアを重視するという作戦。それが・・
「人々の心に火をつけろ」
その原点は、1989に始まった薬害エイズ訴訟。原告と弁護団はメディアの取材に積極的に応じ、
連日お茶の間に被害者の怒りを訴え続けて国民の怒りを燃やした。そして国が動いた。
しかし、肝炎原告団にはメディアにでることに戸惑う人もいる。
原告の肝炎患者遺族に姉を亡くした泉さんがいます。その姉に「被害の苦しさを訴えないか」と
鈴木弁護士に言われたが、姉は「広告塔になりたくない」と応えていたという。
「自分をさらけだしてこそ、人の心に火をつけることができる」
自分から語ることに価値があるということ。だからこそ被害者の声を応援することができるという。
そして泉さんはビデオを公開しました。それがオープニングの患者さんの姿でした。
「私は自分の健康と命をまず返してほしいです。返してください・・・」
民主党は緊急措置法案。B型C型肝炎の医療費助成。
与党は肝炎対策基本法案。全てのウイルス性肝炎の治療体制確立。
しかしこの二つは審議が止まっているという。
原告と弁護団がすべての党を回って法律の必要性を訴えてきた。
二つの法案のいいトコ取りして法案の成立が目標。
茂木さんとスタジオin
裁判は手段と思いながら仕事をするという。
七つ道具。薬害肝炎の資料。国会議員便覧。経歴を見て発言内容などを考慮している。
そして携帯のメーリンリスト。携帯は良く打ち、リアルタイムで議員の話してることを打ったりしている。
200ぐらいを打つこともあり腱鞘炎になったとか。>キーボードの方が早いのでは?by茂木さん。
キーボードを覚える時間を別のことに費やしたほうがいいという結論だそうです。
薬害肝炎訴訟。手ごたえがあったのは13~20日間、街頭で訴えたのが一番だった。
カンパの声まで出てきたという。
そして350万人を救済したいという方向になってきた。そのココロは?
ウイルス性肝炎というのは多かれ少なかれ、医療行為を介在した感染症。
医療行為というのは国家政策、公共政策だから国が救済してほしいということ。
そしてここから数年後に肝硬変と肝ガンの発症のピークを迎える。
その前に、今なら間に合う。インターフェロンを使えば3~6割は治療に有効だという。
その気持ちの原点は小学校の友人が死亡した件があるのかもしれない。
友人は気づいたらC型肝炎で腹水がたまり肝硬変肝ガンとなった。
原因不明だがウイルス性肝炎は医療行為の感染である。この悲劇を無くしたいという思い。
忘れられない訴訟は、出産時のトラブルにより脳性まひになった加藤さん親子の裁判。
それはカルテを見たことが弁護士へとかりたてた。
そこには「当産院の不手際で仮死状態となり脳性まひとなったケース」とかかれてあった。
子供にこうなった本当の理由を伝えるようにと鈴木はお母さんに話したという。
そして裁判。前例のない中での模索。医師の協力は必要だし医療文献は山ほどになったという。
判決の日、自分の耳で判決を聞くように子供にそう話したという。
勝訴。傍聴席に向かいバンザイをした高明さん。病院は謝罪をせず金だけ払ったという。
どこの病院でしょうかね?大学病院でした。
ひとつの裁判に勝っても医療過誤はなくならず本当の解決にはならないという矛盾を抱えていた。
そして薬害エイズ。
裁判に出られない患者のビデオを回した。「私は期待しています将来に残る名判決を。」
薬害エイズは国の謝罪を得たが、薬害再発防止まではできず。
社会のしくみを変える法律作りを肝に命じ、重い課題と取り組んできた。
脳性まひの親子に会うまでは裁判に勝つことができなかったがそのときの気持ちは、
あいつ(裁判官)がトンチンカンだからこんな判決しか出せないんだ・・と人のせいにしてた。
それが「力及ばず申し訳ない」と謝るようになったら気が楽になった。
もひとふんばりできるのは家族や友人や依頼者など誰かのためということがあるから。
生涯かけてもやり切れるとは思わないという。どこかで中途半端になり最期が来ると思ってる。
薬害肝炎訴訟。今回の裁判では救済されない人達が続々と集合。
自分が酒を飲んだなら納得もできようが、医療行為の肝炎でこの先、肝硬変肝ガンが待っている。
恐ろしい病を前に途方にくれる人たちを救済するすべはないのか?
薬害肝炎第2幕
厚労相と原告団が協議をする。
直近の問題は与野党が法律を一本化する法案だが、対立が続いたまま審議は止まっていた。
協議の一時間で基本法について大臣から何かを引き出したいという意見。
今後の方針。
議員に基本法の一本化を働きかけふ。国と原告団弁護団で作業部会を作る。等を大臣に約束させること。
ウイルス性肝炎患者でありながら救済されない患者が全国にいる。その人たちの意思を背負って
ここに集結したと原告代表が歌にしていました。この部分は大きく報道されました。
この協議では、先の方針が達成され、約束が取り付けられました。
薬害エイズでは和解したあと治療体制までは整備できたが、再発防止の法案はできなかった。
だからこそ、肝炎訴訟では再発防止までこぎつけたい。
知り合いの議員に電話。
しかし、状況は変わらず、法案一本化は与野党の調整がいまだについてないという。
大臣協議から10日後。
肝炎協議。肝炎立法が決裂したと情報が入ってきた。法案一本化は打ち切られたという。
患者の心を 心として。
法案一本化は困難になってきたから、与党に再要請してもらうことと
厚労大臣に政府提出法案として上程してもらう要請の、双方向で動く必要がありそうです。
このメールを、全国120の弁護団に送った。
350万人の置き去りにされてきた患者達の怒りに火をつけるのが自分達の仕事。
プロフェッショナルとは
心技体を兼ね備えてる人。その分野でのプロフェッショナル。自分はまだまだ・・・
5/14・15、原告団は法案一本化を働きかけた。
今国会で法律制定を求めている。
一律救済を約束したところまでは一斉に報じられたけれどその後が不明でしたね、確かに。
ウイルス性肝炎というのは血液製剤だけじゃなくて注射針などの感染など、医療行為が介在していると
いうこと。医者が患者を増やしてたのでした。昨日から使いまわしで37人感染の報道が出てます。
このウイルス性肝炎を一律に救済するということを今回は明らかにしたのでした。
自分で大酒のんだわけでもないのに、肝炎にかかり今後は肝硬変と肝ガンになると宣告されたと
泣いていた患者さんが切なくなります。
こういう番組で取り上げることに反対の様子もたくさん見られるのですが
「自分をさらけだしてこそ」他人の理解を得ることができるのも一理あると思います。
勇気を出して訴えてくれたからこそ何も知らない人を巻き込み一緒に闘ってくれる。
お茶の間の怒りが国を動かしたとありますが、その戦略は大きいです。
今、法案が与野党対立で動いてなかったそうですが
患者さんたちを救うという前提のもと、誰もが納得するようにしてほしいものです。
そして薬害肝炎訴訟がここまでできたのもこの鈴木さんの手腕があったからだともいえるでしょう。
次回はウガンダリラ事務所長
高嶋由美子さん。
これからも生活していきたかった。」
オープニングは酸素吸入(?)の患者さんが肩で息をしながら撮影したものでした。
この撮影から4年半後に現福田首相の謝罪宣言がありました。
国と製薬会社を相手にした薬害肝炎の訴訟の件です。
昨年12月に国が謝罪、原告全員の救済を約束した映像は大きく報道されました。
その陰にいたのが120人の大弁護団。
代表が鈴木利廣 61歳。
薬害エイズ、ハンセン病、薬害肝炎。
闘う弁護団の中にはつねに鈴木弁護士の姿があった。
でも人権派弁護士という名は似合わない。戦いの戦略を探る軍師。
薬害肝炎は謝罪があったので解決に向かっていると誰もが思ってたのですが
意外と進展してないそうです。この番組で取り上げたのもそこをプッシュのため?
鈴木弁護士はかつては連戦連敗の弁護士だった。
薬害肝炎第2幕。推定350万人が関わる途方もない挑戦。再び国を動かすために。
「患者の無念 命の闘い」
文京区に事務所を構えている鈴木弁護士。弁護士3人、アシスタント4人。
2畳ほどのスペースが鈴木のエリア。資料の山です。
メールは86通、来てますが、手書きで返事。返信をするのはアシスタント。キーボードがダメ?
鈴木の専門は医療問題。そしてご存知、肝炎問題に力を注いできた。
すっかり有名になったフィブリノゲンというウィルスに汚染された血液製剤を使ったために
感染したC型肝炎の訴訟。出産や手術の止血に使われたものです。1960~1990年代初頭。
30年も放置されていたということなんですね。
C型肝炎は慢性化しやすく自覚症状がないまま進行して肝硬変となりさらに進むと肝臓ガンとなる。
肝臓が悪いと聞いてもピンときませんが、ダルさが普通じゃなく起きていられないほどのものだとか。
例えば40度の熱を出すと酷く具合悪いですがあの状態で熱だけ取ったもの?という感じでしょうか?
暮れに胃腸炎症起こしたけどあの状態ならもう立てませんし何もできません。あんな感じかな・・・。
これが日常なら普通の生活は無理です。
原告の一人が浅倉さん(仮名)次男出産で使用した製剤により感染。急性肝炎となり、家事もできず
入退院を繰り返し、離婚も。家族のささやかな楽しみをこの一本の血液製剤が奪った。涙・・・
許せないと涙する患者さんたち。
鈴木は胸にひとつの言葉を刻んで仕事をしてきた。
「患者の心を 心として」
被害者がどういう思いで被害に耐えて弁護士のところに救いを求めてきたのか。
自分に繰り返し問いかけるという。
先の浅倉さんが鈴木を称して「被害者の側に立った心ある弁護士」と言いました。
「薬害肝炎第2幕」
弁護士40人と原告団の終結。
薬害の救済システムで救われない人が350万人におよぶという。
為すべきことは治療体制作り、基本的には治療体制と医療費の支援。
これを柱に法律を作ってもらうという取り組み。
それまでは血液製剤が争点だったが、B型C型肝炎の感染ルートは他にもあった。
ウイルス対策をほどこす前の輸血。集団予防接種の針の使いまわし。医療行為による感染。
その推定患者が350万人。
感染者を救う法整備が必要だというのが鈴木たち弁護団の主張だ。
医療費助成、再発防止などを盛り込む。
3/10にその要望書を手渡しをした相手が舛添厚労相。
マスコミをたくさん集めたのも戦略のひとつ。メディアを重視するという作戦。それが・・
「人々の心に火をつけろ」
その原点は、1989に始まった薬害エイズ訴訟。原告と弁護団はメディアの取材に積極的に応じ、
連日お茶の間に被害者の怒りを訴え続けて国民の怒りを燃やした。そして国が動いた。
しかし、肝炎原告団にはメディアにでることに戸惑う人もいる。
原告の肝炎患者遺族に姉を亡くした泉さんがいます。その姉に「被害の苦しさを訴えないか」と
鈴木弁護士に言われたが、姉は「広告塔になりたくない」と応えていたという。
「自分をさらけだしてこそ、人の心に火をつけることができる」
自分から語ることに価値があるということ。だからこそ被害者の声を応援することができるという。
そして泉さんはビデオを公開しました。それがオープニングの患者さんの姿でした。
「私は自分の健康と命をまず返してほしいです。返してください・・・」
民主党は緊急措置法案。B型C型肝炎の医療費助成。
与党は肝炎対策基本法案。全てのウイルス性肝炎の治療体制確立。
しかしこの二つは審議が止まっているという。
原告と弁護団がすべての党を回って法律の必要性を訴えてきた。
二つの法案のいいトコ取りして法案の成立が目標。
茂木さんとスタジオin
裁判は手段と思いながら仕事をするという。
七つ道具。薬害肝炎の資料。国会議員便覧。経歴を見て発言内容などを考慮している。
そして携帯のメーリンリスト。携帯は良く打ち、リアルタイムで議員の話してることを打ったりしている。
200ぐらいを打つこともあり腱鞘炎になったとか。>キーボードの方が早いのでは?by茂木さん。
キーボードを覚える時間を別のことに費やしたほうがいいという結論だそうです。
薬害肝炎訴訟。手ごたえがあったのは13~20日間、街頭で訴えたのが一番だった。
カンパの声まで出てきたという。
そして350万人を救済したいという方向になってきた。そのココロは?
ウイルス性肝炎というのは多かれ少なかれ、医療行為を介在した感染症。
医療行為というのは国家政策、公共政策だから国が救済してほしいということ。
そしてここから数年後に肝硬変と肝ガンの発症のピークを迎える。
その前に、今なら間に合う。インターフェロンを使えば3~6割は治療に有効だという。
その気持ちの原点は小学校の友人が死亡した件があるのかもしれない。
友人は気づいたらC型肝炎で腹水がたまり肝硬変肝ガンとなった。
原因不明だがウイルス性肝炎は医療行為の感染である。この悲劇を無くしたいという思い。
忘れられない訴訟は、出産時のトラブルにより脳性まひになった加藤さん親子の裁判。
それはカルテを見たことが弁護士へとかりたてた。
そこには「当産院の不手際で仮死状態となり脳性まひとなったケース」とかかれてあった。
子供にこうなった本当の理由を伝えるようにと鈴木はお母さんに話したという。
そして裁判。前例のない中での模索。医師の協力は必要だし医療文献は山ほどになったという。
判決の日、自分の耳で判決を聞くように子供にそう話したという。
勝訴。傍聴席に向かいバンザイをした高明さん。病院は謝罪をせず金だけ払ったという。
どこの病院でしょうかね?大学病院でした。
ひとつの裁判に勝っても医療過誤はなくならず本当の解決にはならないという矛盾を抱えていた。
そして薬害エイズ。
裁判に出られない患者のビデオを回した。「私は期待しています将来に残る名判決を。」
薬害エイズは国の謝罪を得たが、薬害再発防止まではできず。
社会のしくみを変える法律作りを肝に命じ、重い課題と取り組んできた。
脳性まひの親子に会うまでは裁判に勝つことができなかったがそのときの気持ちは、
あいつ(裁判官)がトンチンカンだからこんな判決しか出せないんだ・・と人のせいにしてた。
それが「力及ばず申し訳ない」と謝るようになったら気が楽になった。
もひとふんばりできるのは家族や友人や依頼者など誰かのためということがあるから。
生涯かけてもやり切れるとは思わないという。どこかで中途半端になり最期が来ると思ってる。
薬害肝炎訴訟。今回の裁判では救済されない人達が続々と集合。
自分が酒を飲んだなら納得もできようが、医療行為の肝炎でこの先、肝硬変肝ガンが待っている。
恐ろしい病を前に途方にくれる人たちを救済するすべはないのか?
薬害肝炎第2幕
厚労相と原告団が協議をする。
直近の問題は与野党が法律を一本化する法案だが、対立が続いたまま審議は止まっていた。
協議の一時間で基本法について大臣から何かを引き出したいという意見。
今後の方針。
議員に基本法の一本化を働きかけふ。国と原告団弁護団で作業部会を作る。等を大臣に約束させること。
ウイルス性肝炎患者でありながら救済されない患者が全国にいる。その人たちの意思を背負って
ここに集結したと原告代表が歌にしていました。この部分は大きく報道されました。
この協議では、先の方針が達成され、約束が取り付けられました。
薬害エイズでは和解したあと治療体制までは整備できたが、再発防止の法案はできなかった。
だからこそ、肝炎訴訟では再発防止までこぎつけたい。
知り合いの議員に電話。
しかし、状況は変わらず、法案一本化は与野党の調整がいまだについてないという。
大臣協議から10日後。
肝炎協議。肝炎立法が決裂したと情報が入ってきた。法案一本化は打ち切られたという。
患者の心を 心として。
法案一本化は困難になってきたから、与党に再要請してもらうことと
厚労大臣に政府提出法案として上程してもらう要請の、双方向で動く必要がありそうです。
このメールを、全国120の弁護団に送った。
350万人の置き去りにされてきた患者達の怒りに火をつけるのが自分達の仕事。
プロフェッショナルとは
心技体を兼ね備えてる人。その分野でのプロフェッショナル。自分はまだまだ・・・
5/14・15、原告団は法案一本化を働きかけた。
今国会で法律制定を求めている。
一律救済を約束したところまでは一斉に報じられたけれどその後が不明でしたね、確かに。
ウイルス性肝炎というのは血液製剤だけじゃなくて注射針などの感染など、医療行為が介在していると
いうこと。医者が患者を増やしてたのでした。昨日から使いまわしで37人感染の報道が出てます。
このウイルス性肝炎を一律に救済するということを今回は明らかにしたのでした。
自分で大酒のんだわけでもないのに、肝炎にかかり今後は肝硬変と肝ガンになると宣告されたと
泣いていた患者さんが切なくなります。
こういう番組で取り上げることに反対の様子もたくさん見られるのですが
「自分をさらけだしてこそ」他人の理解を得ることができるのも一理あると思います。
勇気を出して訴えてくれたからこそ何も知らない人を巻き込み一緒に闘ってくれる。
お茶の間の怒りが国を動かしたとありますが、その戦略は大きいです。
今、法案が与野党対立で動いてなかったそうですが
患者さんたちを救うという前提のもと、誰もが納得するようにしてほしいものです。
そして薬害肝炎訴訟がここまでできたのもこの鈴木さんの手腕があったからだともいえるでしょう。
次回はウガンダリラ事務所長
高嶋由美子さん。
05/14/2008 NHKプロフェッショナル (映画監督 堤幸彦)
今週のプロフェッショナルは映画監督の堤幸彦さん。Pちゃまの「STAND UP」もこの方です。
「池袋ウエストゲートパーク」も。一般的といったら「トリック」がそうですか?
必ず全部がヒットとは言わないけれど、独自の映し方というかポリシーがありますよね。
ファンはもう切望するくらいこの監督の作品を見たがるみたいです。
オープニングは堤監督のお誕生日のところでした。
この方は52歳ですが髪はふさふさです。
しかも金髪です。
「トリック劇場版」を出してくれましたが、この映像が堤マジックと呼ばれる斬新さに満ちています。
竹中直人さんは声かけてくれたら、たとえワンシーンでも飛んでくると言いました。
吉永小百合さんは構えずに演技に入ることができたと言います。
~気負わずおごらず立ち止まらず~
監督は俳優が来る2H前には現場に到着し朝ごはん。ゆでたまごとおにぎりだって。定番らしい。
そして台本チェックし、映像をイメージする作業を開始している様子。
台本を前に土下座し「よろしくお願いします」
今取り組んでいるのが実話の「まぼろしの邪馬台国」
邪馬台国を探す学者で全盲役が竹中直人でその妻が吉永小百合。
監督は吉永さん相手にガチンコ勝負だということです。。
演技指導も細かいですね。そばにつきっきりで一緒に動いています。
しかし、本番が始まると撮影ブースにこもってモニター映像を通してマイクで指示するようです。
このやり方は珍しいのだそうです。
そして撮影した映像をその場で編集しているとのこと。これもなかなかできないことでは。
「金田一少年の事件簿」・・じっちゃんの名にかけて~というあれです。
「トリック」「ケイゾク」仲間ちゃんが主演です。
「明日の記憶」
ちょっとずつ映像を出してくれました。
再び「まぼろしの邪馬台国」
映画作りは予算、時間、天候という制約がありさらに俳優の体調も考えねばならない。
そのぎりぎりまで粘り続けている。
大雨・嵐を作り、吉永さんが夫を探すシーンを作ってました。
これの作業に3日かかったそうでこのシーンが終わったのが深夜1時。
でも並行して「スシ王子」と「20世紀少年」も撮っているそうで時間と身体がもっと欲しい状態?
スタジオinで茂木さんと会話です。
吉永さんを相手に撮影することで家族からは大丈夫かと心配されたとか。
向こうは110本の映画に出演した大女優でびびったという感じになったそうです。
しかしそういうものを感じさせない魔力をもった方で感動したという話です。
プロフェッショナルの道具。
カバンですがこの濃紺のバッグは有名ですよね。雑誌でも見たことがあります。
ここには七つ道具みたいですが薬がしっかりと入っています。体温計も。
そして分厚い台本がいくつか。
革表紙のカバーは20世紀少年出演の渡辺謙さんからのプレゼントだとか。
台本には×がいくつも書かれてますがこれは終わったあとにばってん!という風に書いてるみたい。
もう考えなくていい~という感じですっきりするとか。気持ちわかるな~(笑
ブースの中で指示するのは生の直接の演技を見てしまうと感動しちゃって
全部すばらしいと思いダメダシを出せないから。
NGを出すためにはやはり距離を置くのが大事。客観的であり続けようと思った。
ロック、音楽に携わる仕事がしたかったので入ったのが映像制作会社。
音楽ビデオを作る仕事がしたかった。
最初はバラエティのアシスタントディレクター・いわゆるAD.
しかし不器用で失敗ばかりしていてついたあだ名が「電信柱」立ってるだけで動かない考えない・・。
挫折感があった堤に3年後に音楽番組のディレクターの仕事が舞い込んだ。
アシスタントのAの部分が抜けるもんね。まだましかと引き受けたのが最初のステップアップ。
スーパーや商店街などで観客を集め、素人の歌を生放送。観客はお年寄り。
自分の仕事が嫌だったそうです。でも喜んでいる観客の姿を見て考えが変わっていった。
人を喜ばせるものを作ろう・・・。
そうした決心が沸いたところで奥さんの病が発覚。年間数百万の治療費が必要になった。
それを捻出するために必死に働いたそうです。会社とは別に仕事をしたこともあったとか。
しかし2年半の闘病の末、奥さんは亡くなったそうです。
その後も人を楽しませるものを作ろうと思い、一生懸命に仕事を続けてきたといいます。
そして転機が訪れました。40歳の時に作ったのが「金田一少年の事件簿(堂本剛)」これが大評判。
バラエティ番組、音楽ビデオと多様な制作をしてきたことが実となって結ばれた作品。
大胆なカメラワークが堤監督の特徴ですね。
ビートルズがやってくるヤァヤァヤァを見ると泣けるといいます。女の子たちがギャーッとなってる絵を
見るとなぜか泣ける。それと同じようにカラオケで誰かが熱唱しているのを見ておじいちゃんたちが
一生懸命に見て口ずさんでる姿があった。ビートルズと同じだと言うことに気づいた。
ここに「人を楽しませる」という真髄を見たのでした。そこで意識改革できたというのが監督なのですね。
コピーすらも満足にできない不器用さで挫折感に埋もれた自分がこの怒っている相手といつか対等に
なるんだという気持ちがあった。その一本の気概を持っていたから今の監督がある。
これから撮りたい映画は?
僕は・・皆に喜んでもらえ、経済的映像的に楽しめる作品を作るという使命感があるが
その一方で自分が本音でとりたいものを一本撮りたい。それをしないと死ねないな・・・と思う。
そして奇才VS大女優
言い過ぎるとダメだし言わないと伝わらない。相撲みたいな間合いを考えてしまう。
でも吉永さんにはあまりモノを言わないようにしていたという。
前半の最大の見所を撮るシーンもブースで指示しています。
学者にプロポーズされるシーン。
吉永さんは大粒の涙を流したそうです。
監督は微妙だと言っています。
もしかしたら泣かないほうがいいかも?
いや~こういうシーン一つ一つ迷うでしょうね・・・監督業って凄いですね。
自分の代表作を作りたい・・焦っている監督の姿も映りました。
最後のシーンは亡くなった夫を偲んで吉永が思い出の場所を訪れるシーン。
吉永さんは島原の子守唄を歌いながら泣きました。
このシーンは絶対に観客に泣いて欲しいところ。
監督には違和感があったそうです。
主人公が泣けば観客も泣くに違いないけれど・・・。
そして決断しました。
このシーンは涙を流さない方針でいきたいと説明。
楽しかった・・ありがとうという雰囲気で。
そして撮り直したシーンでは
吉永さんは微笑んでいました。
これが吉か凶かは分からないという勝負にでたということです。
プロフェッショナルとは?
どんな逆境でも楽しめる人がプロフェッショナル。
僕自身も楽しみ続けたいし、楽しみを見つけたい。
映画のシーンを一足早く見せてもらったんですね。
最高の宣伝になったのではないですか?
「感動」を作るというのは実は計算されてしまうと逆に冷めてしまうんですよね。
今まで見たものも、あんまり周りから煽られると逆に引いてしまうことが多かったかも。
ラストシーンを微笑みに変えたのは良かったんじゃないでしょうか?
少なくともやらせの涙は慣れてしまってる映画通には通じません。
この「まぼろしの邪馬台国」を見に行きたくなりましたね(笑
堤監督を慕う人は大勢いて、
ブログが炎上したこともあったんでは?
「下北サンデーズ」をレビューしてましたが、
あの時は数字が悪くて気の毒なくらいでした。
堤さんのすることに反対する人はいなかったような気がします。
通に愛されてるのですね。
監督の流儀は「楽しむこと」にあったようですね。
ドラマや映画を愛する人に楽しんでもらいたいというサービスの心が
この人を大きくしてくれたのですね。
そしてPちゃま出演の「STAND UP」はそのオンエア時は知らなかったけど
後に見てすっごい面白くて宝物のようになってしまったドラマです。
脚本も出演者も全部良かった。
けどPファンになってなければこの良さは分からなかったと思う。
ここが難しいところですね・・。
でも堤監督といったらエリは「STAND UP」を推します!!
次は弁護士「鈴木利廣」
あの肝炎の和解シーンが出ました。
これも見なくてはね!!
必ず全部がヒットとは言わないけれど、独自の映し方というかポリシーがありますよね。
ファンはもう切望するくらいこの監督の作品を見たがるみたいです。
オープニングは堤監督のお誕生日のところでした。
この方は52歳ですが髪はふさふさです。
しかも金髪です。
「トリック劇場版」を出してくれましたが、この映像が堤マジックと呼ばれる斬新さに満ちています。
竹中直人さんは声かけてくれたら、たとえワンシーンでも飛んでくると言いました。
吉永小百合さんは構えずに演技に入ることができたと言います。
~気負わずおごらず立ち止まらず~
監督は俳優が来る2H前には現場に到着し朝ごはん。ゆでたまごとおにぎりだって。定番らしい。
そして台本チェックし、映像をイメージする作業を開始している様子。
台本を前に土下座し「よろしくお願いします」
今取り組んでいるのが実話の「まぼろしの邪馬台国」
邪馬台国を探す学者で全盲役が竹中直人でその妻が吉永小百合。
監督は吉永さん相手にガチンコ勝負だということです。。
演技指導も細かいですね。そばにつきっきりで一緒に動いています。
しかし、本番が始まると撮影ブースにこもってモニター映像を通してマイクで指示するようです。
このやり方は珍しいのだそうです。
そして撮影した映像をその場で編集しているとのこと。これもなかなかできないことでは。
「金田一少年の事件簿」・・じっちゃんの名にかけて~というあれです。
「トリック」「ケイゾク」仲間ちゃんが主演です。
「明日の記憶」
ちょっとずつ映像を出してくれました。
再び「まぼろしの邪馬台国」
映画作りは予算、時間、天候という制約がありさらに俳優の体調も考えねばならない。
そのぎりぎりまで粘り続けている。
大雨・嵐を作り、吉永さんが夫を探すシーンを作ってました。
これの作業に3日かかったそうでこのシーンが終わったのが深夜1時。
でも並行して「スシ王子」と「20世紀少年」も撮っているそうで時間と身体がもっと欲しい状態?
スタジオinで茂木さんと会話です。
吉永さんを相手に撮影することで家族からは大丈夫かと心配されたとか。
向こうは110本の映画に出演した大女優でびびったという感じになったそうです。
しかしそういうものを感じさせない魔力をもった方で感動したという話です。
プロフェッショナルの道具。
カバンですがこの濃紺のバッグは有名ですよね。雑誌でも見たことがあります。
ここには七つ道具みたいですが薬がしっかりと入っています。体温計も。
そして分厚い台本がいくつか。
革表紙のカバーは20世紀少年出演の渡辺謙さんからのプレゼントだとか。
台本には×がいくつも書かれてますがこれは終わったあとにばってん!という風に書いてるみたい。
もう考えなくていい~という感じですっきりするとか。気持ちわかるな~(笑
ブースの中で指示するのは生の直接の演技を見てしまうと感動しちゃって
全部すばらしいと思いダメダシを出せないから。
NGを出すためにはやはり距離を置くのが大事。客観的であり続けようと思った。
ロック、音楽に携わる仕事がしたかったので入ったのが映像制作会社。
音楽ビデオを作る仕事がしたかった。
最初はバラエティのアシスタントディレクター・いわゆるAD.
しかし不器用で失敗ばかりしていてついたあだ名が「電信柱」立ってるだけで動かない考えない・・。
挫折感があった堤に3年後に音楽番組のディレクターの仕事が舞い込んだ。
アシスタントのAの部分が抜けるもんね。まだましかと引き受けたのが最初のステップアップ。
スーパーや商店街などで観客を集め、素人の歌を生放送。観客はお年寄り。
自分の仕事が嫌だったそうです。でも喜んでいる観客の姿を見て考えが変わっていった。
人を喜ばせるものを作ろう・・・。
そうした決心が沸いたところで奥さんの病が発覚。年間数百万の治療費が必要になった。
それを捻出するために必死に働いたそうです。会社とは別に仕事をしたこともあったとか。
しかし2年半の闘病の末、奥さんは亡くなったそうです。
その後も人を楽しませるものを作ろうと思い、一生懸命に仕事を続けてきたといいます。
そして転機が訪れました。40歳の時に作ったのが「金田一少年の事件簿(堂本剛)」これが大評判。
バラエティ番組、音楽ビデオと多様な制作をしてきたことが実となって結ばれた作品。
大胆なカメラワークが堤監督の特徴ですね。
ビートルズがやってくるヤァヤァヤァを見ると泣けるといいます。女の子たちがギャーッとなってる絵を
見るとなぜか泣ける。それと同じようにカラオケで誰かが熱唱しているのを見ておじいちゃんたちが
一生懸命に見て口ずさんでる姿があった。ビートルズと同じだと言うことに気づいた。
ここに「人を楽しませる」という真髄を見たのでした。そこで意識改革できたというのが監督なのですね。
コピーすらも満足にできない不器用さで挫折感に埋もれた自分がこの怒っている相手といつか対等に
なるんだという気持ちがあった。その一本の気概を持っていたから今の監督がある。
これから撮りたい映画は?
僕は・・皆に喜んでもらえ、経済的映像的に楽しめる作品を作るという使命感があるが
その一方で自分が本音でとりたいものを一本撮りたい。それをしないと死ねないな・・・と思う。
そして奇才VS大女優
言い過ぎるとダメだし言わないと伝わらない。相撲みたいな間合いを考えてしまう。
でも吉永さんにはあまりモノを言わないようにしていたという。
前半の最大の見所を撮るシーンもブースで指示しています。
学者にプロポーズされるシーン。
吉永さんは大粒の涙を流したそうです。
監督は微妙だと言っています。
もしかしたら泣かないほうがいいかも?
いや~こういうシーン一つ一つ迷うでしょうね・・・監督業って凄いですね。
自分の代表作を作りたい・・焦っている監督の姿も映りました。
最後のシーンは亡くなった夫を偲んで吉永が思い出の場所を訪れるシーン。
吉永さんは島原の子守唄を歌いながら泣きました。
このシーンは絶対に観客に泣いて欲しいところ。
監督には違和感があったそうです。
主人公が泣けば観客も泣くに違いないけれど・・・。
そして決断しました。
このシーンは涙を流さない方針でいきたいと説明。
楽しかった・・ありがとうという雰囲気で。
そして撮り直したシーンでは
吉永さんは微笑んでいました。
これが吉か凶かは分からないという勝負にでたということです。
プロフェッショナルとは?
どんな逆境でも楽しめる人がプロフェッショナル。
僕自身も楽しみ続けたいし、楽しみを見つけたい。
映画のシーンを一足早く見せてもらったんですね。
最高の宣伝になったのではないですか?
「感動」を作るというのは実は計算されてしまうと逆に冷めてしまうんですよね。
今まで見たものも、あんまり周りから煽られると逆に引いてしまうことが多かったかも。
ラストシーンを微笑みに変えたのは良かったんじゃないでしょうか?
少なくともやらせの涙は慣れてしまってる映画通には通じません。
この「まぼろしの邪馬台国」を見に行きたくなりましたね(笑
堤監督を慕う人は大勢いて、
ブログが炎上したこともあったんでは?
「下北サンデーズ」をレビューしてましたが、
あの時は数字が悪くて気の毒なくらいでした。
堤さんのすることに反対する人はいなかったような気がします。
通に愛されてるのですね。
監督の流儀は「楽しむこと」にあったようですね。
ドラマや映画を愛する人に楽しんでもらいたいというサービスの心が
この人を大きくしてくれたのですね。
そしてPちゃま出演の「STAND UP」はそのオンエア時は知らなかったけど
後に見てすっごい面白くて宝物のようになってしまったドラマです。
脚本も出演者も全部良かった。
けどPファンになってなければこの良さは分からなかったと思う。
ここが難しいところですね・・。
でも堤監督といったらエリは「STAND UP」を推します!!
次は弁護士「鈴木利廣」
あの肝炎の和解シーンが出ました。
これも見なくてはね!!
04/30/2008 NHKプロフェッショナル (茂木健一郎 脳は何歳でも鍛えられる)
いつも司会をしている茂木さんですが今回は茂木さんの講義でした。
「脳の取り扱い説明書」
記憶術
集中術
力を引き出す育て術
クオリアを考えるという茂木さん。
クオリアとは質感のこと。
花であれば色、匂い、形を考え美しいと感じる脳の働きをさぐる。
タクシーの運転手は新しい道を覚えることで空間能力の脳が大きく成長したという。
脳は歳をとっても頻繁に使うことで成長できるということがわかってきた。
「記憶」
効率的暗記の方法。
記憶には長期記憶と短期記憶があり
短期記憶を長期記憶にすることが大事。
その方法とは「ツルの恩返し勉強方法」
なりふり構わず大声をだして読みながら文字を書き出す。
五感を使うというのが長期記憶になるそう。
さらに書き写すときに、一旦、テキストをふせて言葉を思い出しながら書くようにするといいとか。
すると脳が覚えろという信号をだして情報が記憶されやすくなるとか。
英単語を覚えられない大学生に伝授し、挑戦してもらったらすぐに効果が現れた。
30分で60個の単語を覚えてた!!
でも暗記って昔から書きながら声も出してといいますよね。
その後も続けていて声に出しなりふり構わず書くことでうるさいといわれたことなども
一緒に記憶されたと語っていました。
茂木さん曰く情報が多いほど記憶力は高まるそうです。
板橋さんが脳の実験に協力。無言で覚えていた時は脳は変化なしですが
声をだしたとたんに脳が活性化されて赤くなっていました。
英語の単語を覚えるのはこれでばっちりですが、実際の会話をすることがさらに重要だという
アドバイスをする茂木さんでした。
「集中力」
国立大に勤める研究者@本間さん。
学生達が声をかけてくると研究が中断され集中力が途切れるという。
そこで茂木さんの処方箋は「短時間集中法」
あき時間に短時間の仕事を集中して行うこと。
たとえ集中できなくても無理してでも始めてしまうことが重要。
いつでもどこでもスイッチを入れてしまう。
すぐに集中する行動を繰り返すことで集中回路は強化されるそうです。
本間さんにも伝授し、本間さんなりに実践。
エレベーターの待ち時間に論文のチェック。
プリンターの印刷時間にデータの分析方法の検討。
トイレに入る間に報告書提出スケジュール。
茂木さんのアドバイスは
エレベーターはOK.
プリンターのところだったら英文を読む、トイレも本を読むなどにするらしい。
考え事に集中するときは散歩がいいらしい。これは実感しています。
いつも歩いてる道が考えに集中できる。景色がわかってるから。
Q:効率の良い集中時間は?
A:ない・・引き込み現象が続いたらいくらでも続けていい。そして集中しようと思ったらいきなり始める
こと。ダンドリは不要。すぐに始めることが大事。
「子育て&しつけ」
茂木さんの学生育て法。東京工業大学大学院。茂木研究室。
「褒めのアスリートになる。」ことを実践しているという。
学生の研究発表。
妄想を発表するといったら「妄想?やった!」と声がけ。
次の発表には「その発想は誰もやってないから天下とれるかも」本気で褒める。
タイミングを逃さず褒めることが大事。だからアスリートなのね。
褒められたり喜んだり、快状態になるとドーパミンが出るのでドーパミンの直前の行動は繰り返したく
なるということがわかっている。
子育てとして叱らなきゃいけないときは叱ったほうがいいが、
「もっと勉強しろ」という言い方はあいまいで戸惑うだけ。
むしろ「この英単語をここからここまで」と具体的に指示して達成したら褒めるやり方がいい。
褒めたいのに褒めるところがないときは・・・
何でもいいからいいところを見つけてあげる。
いうことを聞かない子 ⇒ お前自分の考え貫いてすごいな・・・(爆笑
Q:脳のスイッチの切り替えについて・・家に帰って仕事モードを切り替えるには。
A:頭じゃなくて周りの環境から入る。仕事道具をおいて風呂に入るなど。
質問者が自分から解決法を見つけていました。帰ったら真っ先に犬と遊ぶことにするそうです。
Q:脳とリーダーシップ。新しい仕事を任されたときに人を巻き込んで成功させる術を教えてほしい
A:リーダーが確実に成功するという確固たる信念をもつ。揺らいだときでも部下には見せない。
Q:飽きずに新鮮な気持ちを持ち続けるためには。恋人や仕事や・・
A:飽きることは誰にでもあるが「奥行き」を探ることが大事。自分が成長し変わり続ければ飽きる事は
ない。周りから与えられるのを待つのではなく自分から探し出すと楽しくなってくる。
脳は変わることができる。
脳の能力は変化するから自分の人生を諦めずに決め付けないこと。
このように考えれば脳の潜在能力を生かすことができる。
ということでした。
過去のハウツー本で読んだりしていることがほぼ語られていたように思いますが
実際に映像でみると深みがありますね。
短期集中力というのはいいですよね。
何かに集中しなきゃいけないときはコーヒーだとか机を整理するとか
そういう段取りを取らずにすぐに仕事モードにスイッチをオンにすることが大事。
とにかく仕事に入って集中してしまおう!!と言ってました。
了解で~す!!頑張りま~す!!
それからアイディアを出すために歩くのも有効ですよね。
それはウォーキングをするといろんなことを考えていることにも最近気付いたのです。
歩くと脳が活性化するとよく言いますが、本当だと思います。
今回の作りは大分前にテレビ東京で放映していた「脳のミステリー」で
不満を述べたことに対する応えみたいなできばえでした。
テレビ東京に対してNHKですけど司会は両方ともに茂木さんですしね。
もしかして読んでくださってたかしら?
あの時は「試験に強くなるには、ボケないためにはどうしたらいいか」と
身近に引き寄せてほしかったと書いたのです。
その通りの番組になっていてドンピシャでしたね^^
どうもありがとうございました。
なんと次回は堤幸彦映画監督!!
5/13(火)です。
間があきますが、必見ですね!!!!!
記憶術
集中術
力を引き出す育て術
クオリアを考えるという茂木さん。
クオリアとは質感のこと。
花であれば色、匂い、形を考え美しいと感じる脳の働きをさぐる。
タクシーの運転手は新しい道を覚えることで空間能力の脳が大きく成長したという。
脳は歳をとっても頻繁に使うことで成長できるということがわかってきた。
「記憶」
効率的暗記の方法。
記憶には長期記憶と短期記憶があり
短期記憶を長期記憶にすることが大事。
その方法とは「ツルの恩返し勉強方法」
なりふり構わず大声をだして読みながら文字を書き出す。
五感を使うというのが長期記憶になるそう。
さらに書き写すときに、一旦、テキストをふせて言葉を思い出しながら書くようにするといいとか。
すると脳が覚えろという信号をだして情報が記憶されやすくなるとか。
英単語を覚えられない大学生に伝授し、挑戦してもらったらすぐに効果が現れた。
30分で60個の単語を覚えてた!!
でも暗記って昔から書きながら声も出してといいますよね。
その後も続けていて声に出しなりふり構わず書くことでうるさいといわれたことなども
一緒に記憶されたと語っていました。
茂木さん曰く情報が多いほど記憶力は高まるそうです。
板橋さんが脳の実験に協力。無言で覚えていた時は脳は変化なしですが
声をだしたとたんに脳が活性化されて赤くなっていました。
英語の単語を覚えるのはこれでばっちりですが、実際の会話をすることがさらに重要だという
アドバイスをする茂木さんでした。
「集中力」
国立大に勤める研究者@本間さん。
学生達が声をかけてくると研究が中断され集中力が途切れるという。
そこで茂木さんの処方箋は「短時間集中法」
あき時間に短時間の仕事を集中して行うこと。
たとえ集中できなくても無理してでも始めてしまうことが重要。
いつでもどこでもスイッチを入れてしまう。
すぐに集中する行動を繰り返すことで集中回路は強化されるそうです。
本間さんにも伝授し、本間さんなりに実践。
エレベーターの待ち時間に論文のチェック。
プリンターの印刷時間にデータの分析方法の検討。
トイレに入る間に報告書提出スケジュール。
茂木さんのアドバイスは
エレベーターはOK.
プリンターのところだったら英文を読む、トイレも本を読むなどにするらしい。
考え事に集中するときは散歩がいいらしい。これは実感しています。
いつも歩いてる道が考えに集中できる。景色がわかってるから。
Q:効率の良い集中時間は?
A:ない・・引き込み現象が続いたらいくらでも続けていい。そして集中しようと思ったらいきなり始める
こと。ダンドリは不要。すぐに始めることが大事。
「子育て&しつけ」
茂木さんの学生育て法。東京工業大学大学院。茂木研究室。
「褒めのアスリートになる。」ことを実践しているという。
学生の研究発表。
妄想を発表するといったら「妄想?やった!」と声がけ。
次の発表には「その発想は誰もやってないから天下とれるかも」本気で褒める。
タイミングを逃さず褒めることが大事。だからアスリートなのね。
褒められたり喜んだり、快状態になるとドーパミンが出るのでドーパミンの直前の行動は繰り返したく
なるということがわかっている。
子育てとして叱らなきゃいけないときは叱ったほうがいいが、
「もっと勉強しろ」という言い方はあいまいで戸惑うだけ。
むしろ「この英単語をここからここまで」と具体的に指示して達成したら褒めるやり方がいい。
褒めたいのに褒めるところがないときは・・・
何でもいいからいいところを見つけてあげる。
いうことを聞かない子 ⇒ お前自分の考え貫いてすごいな・・・(爆笑
Q:脳のスイッチの切り替えについて・・家に帰って仕事モードを切り替えるには。
A:頭じゃなくて周りの環境から入る。仕事道具をおいて風呂に入るなど。
質問者が自分から解決法を見つけていました。帰ったら真っ先に犬と遊ぶことにするそうです。
Q:脳とリーダーシップ。新しい仕事を任されたときに人を巻き込んで成功させる術を教えてほしい
A:リーダーが確実に成功するという確固たる信念をもつ。揺らいだときでも部下には見せない。
Q:飽きずに新鮮な気持ちを持ち続けるためには。恋人や仕事や・・
A:飽きることは誰にでもあるが「奥行き」を探ることが大事。自分が成長し変わり続ければ飽きる事は
ない。周りから与えられるのを待つのではなく自分から探し出すと楽しくなってくる。
脳は変わることができる。
脳の能力は変化するから自分の人生を諦めずに決め付けないこと。
このように考えれば脳の潜在能力を生かすことができる。
ということでした。
過去のハウツー本で読んだりしていることがほぼ語られていたように思いますが
実際に映像でみると深みがありますね。
短期集中力というのはいいですよね。
何かに集中しなきゃいけないときはコーヒーだとか机を整理するとか
そういう段取りを取らずにすぐに仕事モードにスイッチをオンにすることが大事。
とにかく仕事に入って集中してしまおう!!と言ってました。
了解で~す!!頑張りま~す!!
それからアイディアを出すために歩くのも有効ですよね。
それはウォーキングをするといろんなことを考えていることにも最近気付いたのです。
歩くと脳が活性化するとよく言いますが、本当だと思います。
今回の作りは大分前にテレビ東京で放映していた「脳のミステリー」で
不満を述べたことに対する応えみたいなできばえでした。
テレビ東京に対してNHKですけど司会は両方ともに茂木さんですしね。
もしかして読んでくださってたかしら?
あの時は「試験に強くなるには、ボケないためにはどうしたらいいか」と
身近に引き寄せてほしかったと書いたのです。
その通りの番組になっていてドンピシャでしたね^^
どうもありがとうございました。
なんと次回は堤幸彦映画監督!!
5/13(火)です。
間があきますが、必見ですね!!!!!
04/16/2008 NHKプロフェッショナル (工場再建屋 山田日登志)
日本のものづくりに革命を起こした男です。山田日登志さん。
以前、朝日の土曜版にも載ったことがあるんじゃないかな・・・(違う??
年間3億の赤字を出していた工場を一人のリストラもせず3年で黒字に変えた実績を持つ人です。
常に50以上の依頼をかかえ全国を飛び回っているそうですが、
その工場は機械関係のみならず、食品も家具も工場という名がつくなら何でも来いのようです。
そして300以上の工場を立て直してきたという。
とっても柔和な顔をされていますがいざ工場にはいると厳しく無駄を見つけるそうです。
製造業は人件費の安い中国との激しい競争にさらされ赤字になるところが続出。
そんなところに救世主としてこの人が登場し地獄から救われたという経営者がたくさんいるわけです。
この方の提案を現場を知らない人という見方をする職人さんも多いでしょうから
「お前のいうことなんか聞けるか!」とクビを絞められたこともあったそうです。
現場との衝突が一番のネックですが、この人の提案を受け入れてそれから良くなっていくのを
見るのは本当にいいもの。自分の手がけてきた工場が黒字になったという報告が
一番のご褒美ではないでしょうか。
広島のふりかけメーカーに行く山田さん。
すぐに着替えて工場視察。予備知識なしで現場を見るのがこの人のやり方。
どこに無駄があるかを発見し、無駄を省いて余った人材を別の仕事に割り当てるというのが山田流。
ベルトコンベアーの流れ作業についている人が一人で2作業、2工程できることを見つけていました。
この日、一日で50の無駄を見つけたそうです。1年後にまた来ると言っています。
何より大事なのは「自分で考える社員を作ること」
岡山の自動車部品メーカー工場。
2億の赤字を昨年改革し黒字に転じたという工場に視察。
無駄な工程を省くことでスリム化した工場ですが、
もう一つやらなければならないのが社員の意識改革。
指示待ちということで自分から動けない状況になっていたことを変えて自分で考えて動くことにする。
社員に仕事をする誇りをもたせるということでした。
「覚悟を持って突き放す」
部品をおく倉庫のベルトコンベアーをはずすように、あとは自分たちで考えるように指示。
山田が生み出した工場改革とは「セル生産方式」
流れ作業ではなく、一人であるいは数人で製品を完成させるというやり方。
それによって社員は自分で創り出すことに工夫をこらし、逆に生産能率が高まったという。
社員は「お金じゃない喜び」を仕事に見出したという。
そして次々とアイディアを打ち出し、会社を黒字にしていくパワーとなったそうです。
その工場の女性がエンデバーに会社の製品が入っていて宇宙に飛んだと報告していました。
このように忙しく全国を飛び回っているため平日は家には帰れないそうですが
週末に帰ったときは奥さんを7回以上褒めて、一緒に居る時間を濃くしているそうです。
68歳ですって。熟年離婚されそうな男性諸氏は見習わないといけないですね^^
工場にある無駄を取り除く。
一人でできる工程を複数もつことで時間の無駄も見つける。
作業の場所の移動の無駄によりスペースの無駄を指摘。
探すといくらでも無駄が見つかります。
例えば、脇において流れてきた製品に何かをつけるというとき、脇から部品をあげるのに数秒かかる。
ならば目の前に置くという発想に切り替えるのでした。それにより数秒得すれば
一日に何十分と浮く時間があるわけで他の仕事ができるということになります。
スペースも人も半分くらい余るようになったら、もう一つラインを作り新しい製品を作ることができる。
時代のニーズに合わせて多様化している製品に応えていけるような生産ラインを作ること。
これができる工場なら強いのです。
地元の繊維産業から出発した山田さんがトヨタ方式の師に弟子入りして学んだことを伝授してから
どんどん赤字工場が黒字工場に変わっていったという。
しかし中国の台頭により競争に負けていった工場もたくさんあるそうです。苦渋の顔です。
そしてワープロ工場を変えたのをきっかけに予期せぬことが起きた。
それは、一人で製品を組み立てねばならなくなった社員が反発するかと思いきや
逆に社員の士気を高め、工夫を生み出し、やる気を引き出したということでした。
これが先のセル方式。
日本のものつくりを残すために何をすべきか?by茂木
「仕事が楽しいと思う人間を作る」by山田
そしてラストは飛騨高山の曲木の家具工場。
名門の家具ですが、中国アジア競争に負けて赤字が続いています。
2年間、提案を出し続けていますが実行されてません。
それは職人たちが品質を落とすという懸念から変化を受け入れられないということでした。
伝統を維持するというのはファンがあってこそであり、ファンがいなくなったら、
つまり買ってくれる人がいなくなったら伝統も何もないわけです。
それを最初に言ったことで職人達もがびーんとなった??
そして工場視察。
曲げ木のところの工程を見ています。
蒸したり乾燥させたりと木を曲げるための工程がいくつもあるのね。
それに何人も張り付き、製品の無駄もあり、たくさんの無駄がでてきました。
きつい言葉で職人達を刺激していましたが、責任者の澤田さんがきちんと反応してくれた。
4つの工程の時間を計り、その間に検品し、磨くという作業がある。
それを一人で全部することという課題。
時間を計って、動きやすさも見て、移動すること動きや場所やそういったことも全部自分で考えて
少しずつ改良していき、40秒の課題を、35秒まで縮めることに成功。
きちんと動きを見つけていった澤田さんでした。
結局、そういう工夫を考えるというのは職人として楽しいのですね。
自分から「こういうの好きだ」と言っておられました。
プロフェッショナルとは?
「使命を感じて時間を費やす。それを人が称讃してくれるような人をプロと呼ぶ」
面白かったです。
工場再建というけれど無駄を省いてどこに黒字になる余地があるのか今ひとつわからなかったですが
「工夫を凝らす」というのは楽しいですよね。
家の中にだって工夫が転がっています。
お料理する時だって最初にゆでるものをゆでてしまってからそれぞれ別の料理に使うとか
お料理の工程が頭に入っていると早いですよね。
そういった工夫の仕方に通じますし、
会社の仕事だって、例えば切手貼るのだって、一枚一枚ちぎってスポンジに一つつけて・・なんて
やりませんでしょ?事務のお姉さんの仕事を見てて感心しましたよ。
最初にざ~~っとスポンジにつけて、全部濡らして、それから貼っていきながら
ちぎっていくように、少しでも時間の節約の工夫を凝らすじゃないですか。
どこにでもどんな仕事にでも工夫の仕方はあるわけで、それの規模が大きくなったという感じです。
工場でそれまでそういうことができなかったのは、
ひとえに規模が大きすぎて構造を変えるということに臆病になっていたからでしょうかね。
改革案を出されて素直に従って伸びていったものの勝ちですね。
無駄をなくし工夫を凝らすというのは誰でも思いつく発想ですが、
セル方式というのは画期的でした。
それまで流れ作業で自分の仕事に対して面白みも何も持てなかった職人たちが
一人で最初から最後まで責任を持って作り上げるという方向に転じたのが非常に良かった。
仕事を任されて嫌になるどころか逆に誇りを持って仕事をすることができたのは収穫。
会社が生き生きして変わってくるというのがとってもよく分かりました。
人材というけれど人を生かすという発想ができたのが良かったんですね。
めったに家に帰れないけれど帰ったときは奥さん孝行に努めるというのもとっても好感。
優しそうなお顔でしたけど、この人の奥さんは幸せでしょうね。
このお年でも忙しく全国飛び回るというのがますます羨ましい。
一生仕事を持って働くくらいの気概があったほうが絶対に人生は楽しいですね!
年間3億の赤字を出していた工場を一人のリストラもせず3年で黒字に変えた実績を持つ人です。
常に50以上の依頼をかかえ全国を飛び回っているそうですが、
その工場は機械関係のみならず、食品も家具も工場という名がつくなら何でも来いのようです。
そして300以上の工場を立て直してきたという。
とっても柔和な顔をされていますがいざ工場にはいると厳しく無駄を見つけるそうです。
製造業は人件費の安い中国との激しい競争にさらされ赤字になるところが続出。
そんなところに救世主としてこの人が登場し地獄から救われたという経営者がたくさんいるわけです。
この方の提案を現場を知らない人という見方をする職人さんも多いでしょうから
「お前のいうことなんか聞けるか!」とクビを絞められたこともあったそうです。
現場との衝突が一番のネックですが、この人の提案を受け入れてそれから良くなっていくのを
見るのは本当にいいもの。自分の手がけてきた工場が黒字になったという報告が
一番のご褒美ではないでしょうか。
広島のふりかけメーカーに行く山田さん。
すぐに着替えて工場視察。予備知識なしで現場を見るのがこの人のやり方。
どこに無駄があるかを発見し、無駄を省いて余った人材を別の仕事に割り当てるというのが山田流。
ベルトコンベアーの流れ作業についている人が一人で2作業、2工程できることを見つけていました。
この日、一日で50の無駄を見つけたそうです。1年後にまた来ると言っています。
何より大事なのは「自分で考える社員を作ること」
岡山の自動車部品メーカー工場。
2億の赤字を昨年改革し黒字に転じたという工場に視察。
無駄な工程を省くことでスリム化した工場ですが、
もう一つやらなければならないのが社員の意識改革。
指示待ちということで自分から動けない状況になっていたことを変えて自分で考えて動くことにする。
社員に仕事をする誇りをもたせるということでした。
「覚悟を持って突き放す」
部品をおく倉庫のベルトコンベアーをはずすように、あとは自分たちで考えるように指示。
山田が生み出した工場改革とは「セル生産方式」
流れ作業ではなく、一人であるいは数人で製品を完成させるというやり方。
それによって社員は自分で創り出すことに工夫をこらし、逆に生産能率が高まったという。
社員は「お金じゃない喜び」を仕事に見出したという。
そして次々とアイディアを打ち出し、会社を黒字にしていくパワーとなったそうです。
その工場の女性がエンデバーに会社の製品が入っていて宇宙に飛んだと報告していました。
このように忙しく全国を飛び回っているため平日は家には帰れないそうですが
週末に帰ったときは奥さんを7回以上褒めて、一緒に居る時間を濃くしているそうです。
68歳ですって。熟年離婚されそうな男性諸氏は見習わないといけないですね^^
工場にある無駄を取り除く。
一人でできる工程を複数もつことで時間の無駄も見つける。
作業の場所の移動の無駄によりスペースの無駄を指摘。
探すといくらでも無駄が見つかります。
例えば、脇において流れてきた製品に何かをつけるというとき、脇から部品をあげるのに数秒かかる。
ならば目の前に置くという発想に切り替えるのでした。それにより数秒得すれば
一日に何十分と浮く時間があるわけで他の仕事ができるということになります。
スペースも人も半分くらい余るようになったら、もう一つラインを作り新しい製品を作ることができる。
時代のニーズに合わせて多様化している製品に応えていけるような生産ラインを作ること。
これができる工場なら強いのです。
地元の繊維産業から出発した山田さんがトヨタ方式の師に弟子入りして学んだことを伝授してから
どんどん赤字工場が黒字工場に変わっていったという。
しかし中国の台頭により競争に負けていった工場もたくさんあるそうです。苦渋の顔です。
そしてワープロ工場を変えたのをきっかけに予期せぬことが起きた。
それは、一人で製品を組み立てねばならなくなった社員が反発するかと思いきや
逆に社員の士気を高め、工夫を生み出し、やる気を引き出したということでした。
これが先のセル方式。
日本のものつくりを残すために何をすべきか?by茂木
「仕事が楽しいと思う人間を作る」by山田
そしてラストは飛騨高山の曲木の家具工場。
名門の家具ですが、中国アジア競争に負けて赤字が続いています。
2年間、提案を出し続けていますが実行されてません。
それは職人たちが品質を落とすという懸念から変化を受け入れられないということでした。
伝統を維持するというのはファンがあってこそであり、ファンがいなくなったら、
つまり買ってくれる人がいなくなったら伝統も何もないわけです。
それを最初に言ったことで職人達もがびーんとなった??
そして工場視察。
曲げ木のところの工程を見ています。
蒸したり乾燥させたりと木を曲げるための工程がいくつもあるのね。
それに何人も張り付き、製品の無駄もあり、たくさんの無駄がでてきました。
きつい言葉で職人達を刺激していましたが、責任者の澤田さんがきちんと反応してくれた。
4つの工程の時間を計り、その間に検品し、磨くという作業がある。
それを一人で全部することという課題。
時間を計って、動きやすさも見て、移動すること動きや場所やそういったことも全部自分で考えて
少しずつ改良していき、40秒の課題を、35秒まで縮めることに成功。
きちんと動きを見つけていった澤田さんでした。
結局、そういう工夫を考えるというのは職人として楽しいのですね。
自分から「こういうの好きだ」と言っておられました。
プロフェッショナルとは?
「使命を感じて時間を費やす。それを人が称讃してくれるような人をプロと呼ぶ」
面白かったです。
工場再建というけれど無駄を省いてどこに黒字になる余地があるのか今ひとつわからなかったですが
「工夫を凝らす」というのは楽しいですよね。
家の中にだって工夫が転がっています。
お料理する時だって最初にゆでるものをゆでてしまってからそれぞれ別の料理に使うとか
お料理の工程が頭に入っていると早いですよね。
そういった工夫の仕方に通じますし、
会社の仕事だって、例えば切手貼るのだって、一枚一枚ちぎってスポンジに一つつけて・・なんて
やりませんでしょ?事務のお姉さんの仕事を見てて感心しましたよ。
最初にざ~~っとスポンジにつけて、全部濡らして、それから貼っていきながら
ちぎっていくように、少しでも時間の節約の工夫を凝らすじゃないですか。
どこにでもどんな仕事にでも工夫の仕方はあるわけで、それの規模が大きくなったという感じです。
工場でそれまでそういうことができなかったのは、
ひとえに規模が大きすぎて構造を変えるということに臆病になっていたからでしょうかね。
改革案を出されて素直に従って伸びていったものの勝ちですね。
無駄をなくし工夫を凝らすというのは誰でも思いつく発想ですが、
セル方式というのは画期的でした。
それまで流れ作業で自分の仕事に対して面白みも何も持てなかった職人たちが
一人で最初から最後まで責任を持って作り上げるという方向に転じたのが非常に良かった。
仕事を任されて嫌になるどころか逆に誇りを持って仕事をすることができたのは収穫。
会社が生き生きして変わってくるというのがとってもよく分かりました。
人材というけれど人を生かすという発想ができたのが良かったんですね。
めったに家に帰れないけれど帰ったときは奥さん孝行に努めるというのもとっても好感。
優しそうなお顔でしたけど、この人の奥さんは幸せでしょうね。
このお年でも忙しく全国飛び回るというのがますます羨ましい。
一生仕事を持って働くくらいの気概があったほうが絶対に人生は楽しいですね!
04/02/2008 NHK プロフェッショナル (中村勇吾・WEBデザイナー)
昨日のプロフェッショナルご覧になった方、いらっしゃいますか?
この中村勇吾サンって、ネットの世界では超有名人なんですってね。
もちろん知りませんでしたけど。
SEの人たち、クリエイティブ、その方面では頂点に立つ人だそうです。
みなさんはきっとご存知でしょうね。
経歴がすごいんですよ。
灘中高を経て東大工学部。
一度は建築の設計をしています。
「働きマン」のドラマで「橋を作りたい」と言ってた主役の恋人が登場してましたが
橋に携われるというのは相当のエリートなんですね・・。
この中村さんは橋の設計で計算をしていたと言ってましたが
やっぱりできる人なんですね。
地道な作業ばかりが続いて思ったような仕事ができないということで
思い切って辞めて、趣味で勉強していたWEBの世界に。
これが高い評価を受けることになったという方です。
いくつか見せてもらったのですが
いわゆる「FLASH」というの?
画像が動いている様子ですね、これが面白いんです。
この中村さんが一躍脚光をあびたのは
⇒ コレでした。
NECの植樹キャンペーンでメールがくると木の枝にタイトルがつけられてどんどん大きくなっていきます。
この樹が伸びきると植樹をするということだそうですが、よくこういうの思いつきますよね。
私がさらに気に入ったのはアマゾンの検索すると、その入れたワードの文字になって
その商品が無数に現れ表現されていました。とにかく斬新で面白いです。
試してみますか?⇒コレです。
例えばタレントの名前などを入れると、同音の著書がぱらぱらと出て重ねられますが、
はっきりと分かっている書名で検索するとそのものだけで文字が形成されました。
面白くて何度も試してしまいました(笑
中村さんは二度驚かせると言ってましたが、
まず、びっくりさせること。
そしてそこから調べ発見させるという方向に導くこと。
その斬新な発想の源はどこにあるんでしょうか。
1年の半分はひたすらがむしゃらに仕事をして、
残り半分で充電すると言ってましたが
その充電が意外と苦しいかも。
何かを発見したり生み出すというのは領域が違えど本当に苦しいもの。
実験のようなことを何度も繰り返してビデオに撮ってそこから何かをつかもうとしてました。
本人曰く「試行錯誤を楽しみつくす」
そういえばプログラミングの勉強は独学だったそうです。
全部網羅する必要はなくて、その時にやらなければならないことを優先して
勉強していったというやり方だったみたいね。
茂木健一郎さんがまた出てました。(笑
この人が司会なのですね。
先日のテレビ東京の続きみたいですが、コチラのほうが面白かったです。
茂木さんのイラストを据えて、マウスを動かすことによって
髪がパンクや爆発になるのがとっても受けました。
ほんと、よく思いつきますね☆
もちろん知りませんでしたけど。
SEの人たち、クリエイティブ、その方面では頂点に立つ人だそうです。
みなさんはきっとご存知でしょうね。
経歴がすごいんですよ。
灘中高を経て東大工学部。
一度は建築の設計をしています。
「働きマン」のドラマで「橋を作りたい」と言ってた主役の恋人が登場してましたが
橋に携われるというのは相当のエリートなんですね・・。
この中村さんは橋の設計で計算をしていたと言ってましたが
やっぱりできる人なんですね。
地道な作業ばかりが続いて思ったような仕事ができないということで
思い切って辞めて、趣味で勉強していたWEBの世界に。
これが高い評価を受けることになったという方です。
いくつか見せてもらったのですが
いわゆる「FLASH」というの?
画像が動いている様子ですね、これが面白いんです。
この中村さんが一躍脚光をあびたのは
⇒ コレでした。
NECの植樹キャンペーンでメールがくると木の枝にタイトルがつけられてどんどん大きくなっていきます。
この樹が伸びきると植樹をするということだそうですが、よくこういうの思いつきますよね。
私がさらに気に入ったのはアマゾンの検索すると、その入れたワードの文字になって
その商品が無数に現れ表現されていました。とにかく斬新で面白いです。
試してみますか?⇒コレです。
例えばタレントの名前などを入れると、同音の著書がぱらぱらと出て重ねられますが、
はっきりと分かっている書名で検索するとそのものだけで文字が形成されました。
面白くて何度も試してしまいました(笑
中村さんは二度驚かせると言ってましたが、
まず、びっくりさせること。
そしてそこから調べ発見させるという方向に導くこと。
その斬新な発想の源はどこにあるんでしょうか。
1年の半分はひたすらがむしゃらに仕事をして、
残り半分で充電すると言ってましたが
その充電が意外と苦しいかも。
何かを発見したり生み出すというのは領域が違えど本当に苦しいもの。
実験のようなことを何度も繰り返してビデオに撮ってそこから何かをつかもうとしてました。
本人曰く「試行錯誤を楽しみつくす」
そういえばプログラミングの勉強は独学だったそうです。
全部網羅する必要はなくて、その時にやらなければならないことを優先して
勉強していったというやり方だったみたいね。
茂木健一郎さんがまた出てました。(笑
この人が司会なのですね。
先日のテレビ東京の続きみたいですが、コチラのほうが面白かったです。
茂木さんのイラストを据えて、マウスを動かすことによって
髪がパンクや爆発になるのがとっても受けました。
ほんと、よく思いつきますね☆