06/18/2008 NHKプロフェッショナル (茶師 前田文男)
静岡の茶畑で若菜をつんで食べてみた前田さん。「みるい」と言っています。
甘みがあるという意味です。今週は茶師の山田文男さん(47歳)の仕事の流儀。
お茶の審査技術大会で日本一になり史上初の十段に上り詰めた。
お茶の前田文男ブランドで通じる凄い人という評判。
4月新茶戦争の幕開け。目指すは高級茶をしのぐ手ごろな価格のお茶。
朝4時に起き、あっせんやという仲介業者に向かいました。
市場に出回らない良質のお茶が手に入るそうです。そこで見本の缶がいくつも貰って帰ります。
祖父の代から続く茶問屋。お茶の歴史は300年以上も前から・
将軍家や大名にお茶を治めていたという。
お茶は何種類もの葉を混ぜ合わせることで極上の味を出す。そこが茶師の腕のみせどころ。
手で触って見て、鼻で嗅ぐ。
「お茶の声に耳をすます」なんかが横切ったように感じる。お茶が訴えている。
いくつものサンプルから甘みの強い葉をひとつ選び10Kの注文を出していました。
次は静岡茶市場。九州から茨木までの葉が集まる。
前田の選び方は一味違う。高知の山奥の葉を見つけた。
爽やかな香りが立つが葉の形が悪く敬遠されていたお茶葉。
手を打っています。お互いの数字と合えば手を打つのね。「手を打つ」の意味をそのままです(笑
「良いお茶ではなく伸びるお茶を選ぶ」のが前だの流儀。
手を掛けたときにどれだけ伸びるお茶か見分けるのでした。
高知のお茶は葉がいびつで敬遠されていたが手をかければおいしくなると読んでいた。
型づめし、ひ出しして細かい葉が落ちていき、さらに網でこしています。
残った葉がいいお茶になった。
空手をする前田さん。普段決心が必要なときにこの空手の心得が自分を押してくれるという。
高知の葉っぱを持ってきて最後の仕上げ。他のお茶とブレンドする合組。
苦味と渋みの高知のお茶と水食美しい静岡のお茶のブレンドを作った。
「チームワーク」
葉っぱの持つそれぞれの長所が引き出されるようなチームワークのいいブレンドを作る。
三つの葉の組み合わせ。納得できるお茶にすること。
スタジオin
親指で手のひらに広げるしぐさでお茶を触る感じをみせてくれました。
合組をする工程を実演しています。
それぞれのお茶ッパの表現がすばらしいのね。
女性らしい香と品のある甘み。男らしい苦味、渋み、香。水色がよく出るコクのるお茶。
遠めですっと見て何かを感じたり、色や力強さなと訴えてくるものを見る。
いくつかを何グラムとはかってあわせています。
お湯は70度。1分弱。
合組する前と後での味の違い。
それぞれの単品のお茶を味わうとその特徴の強さが後味として残っている。
そして合組して「おいしい!」と言ってました(笑
短所を打ち消しあうのが合組のよさだそうです。
よくないお茶同士を組み合わせるとおいしくなることもあるので第一印象で悪いからと諦めない。
付き合うことが大事。人間と同じだという。
家では毎日料理を手伝う。
日本屈指の茶師になるまで長い苦悩があった。
茶師の一家。父もお茶一筋の茶師。
前田は大学卒業後別の道を行きたいと電機メーカーに就職。
3年後に父の後を継いで欲しいと祖父に頼まれる。
下積みをしながらお茶の知識を吸収していった。
2年後にはお茶を見分ける審査技術の全国大会で上位入賞。自信を深めた。
転機は2年後大きな仕入れを任された。
片っ端から見ても何かが足りない。納得いくお茶はひとつしかなかった。ひとつだけ買って帰ると
父に怒鳴られた。他にもいいお茶があったはずだ。他のお茶は何かしら欠点があったと返した。
すると父は「お前にはお茶が見えていない」と言った。
そして仕入れをはずされ他の作業にまわされた。
徹底的に向き合うと決め、売れ残ったお茶を持ち帰り研究。1年経ち2年経っても見えてこない。
5年目。葉の形が悪く売れ残っていた高知産の葉に心が動いた。手に取るとずしっと重い。
心にひっかかった。200Kg50万円を買い付けた。そしてお茶葉と向き合った。
何度もふるいにかけ細かく刻み余分な枝も手作業で一つ一つ落とした。
そして合組をし、他のお茶と組み合わせた。すると化けた。
力強い香が他のお茶をひきたて極上の一杯になった。そのお茶を飲んだ父は、
「こういう光るお茶を買ってこい」と言ってくれた!!
ここから茶師の歩みが始まった。
再び茂木さんと。
お父さんの言葉が厳しかったという茂木さん。
前田さんも天狗になっていた心にずしっときたといいます。鼻っ柱をへし折られてショックだったと。
その後、売れ残ったお茶を研究するために市場に通ったことで「手擦れる」ということで最後は怒られた。
5年も触り続けたら諦めそうなものですが、と住吉さん。
終わりのない問題を解いてるような、いつまでも解けない問題を解いてたと思ってた。
お茶の時期になると夢にまで出たといいます。
その5年間を支えてくれたのは何でしたか?と茂木さん。
見る時間を与えてくれた会社・・・すぐに成果を出せといわれたらできなかったかもしれない。
今の自分があるのはそういう時間を与えてくれた会社と父にも感謝しています。
自分で買ったお茶をけなしたら父と祖父に怒られた。
うちに来たお茶は子供と一緒。どうやって伸ばすか考えろ。
根気強く付き合うことが大事だと、絶対によくして世の中に出すと思っています。
「年に一度の大勝負」
前田が1年に手がけるお茶は50種以上。
そのなかでのこだわりは100g千円ほどの手軽に飲める値ごろで一番の売れ筋茶。
値ごろで美味しいお茶は難しい。安い茶葉の中から光る葉を見つけ出す眼力。
お金を出せばそれなりではあるけれど、このあたりから手を掛けていいものを出すのが腕の見せ所。
3つの産地に目をかけていた。静岡牧の原、静岡本山、高知吾川。
この三つを合組みして高級茶に負けない飲みごたえのあるお茶を作る。
しかしスタートよりつまづいた。求めるお茶が見つからない。その原因は雨。
雨がふると収穫できず、葉が育ちすぎて質が落ちてしまう。
あっせん屋に行った前田さん。求める牧の原の見本がありました。急いでもらい、帰宅。
急いでお茶をみてみると様が変わって予想以上によくない。
結局、レベルが足りず仕入れを控えた。
翌日もあっせん屋。で、気になるお茶を発見。荒削りだが品の良い甘みが見え隠れする。
手をかければいいものになると「買い」だと踏んだ。
3つ目のお茶を探して市場に。
「お茶の声に耳をすます」
そして見つけた。何度も触って味も確かめずその場で買った。
ひとつの策。
お茶の中に眠っている香を引き出す伝統の技法、火入れ。
茶葉を高温で煎ることでお茶葉に眠っている香を呼び覚ます。
火入れの命は温度。とっとも力強い香の出る温度を探す。
窯の温度は87度。もう少し上げて89度。飲み比べ。87度がいい。88度でも試す。
求めるのは匂い立つ強い香。88度で決定。
合組しました。
美味しいお茶ができました。
プロフェッショナルとは?
自分の中にある弱い自分に負けない強い心を持ち続けること。
おごることなく謙虚な気持ちを持ち続け常に努力を惜しまない人。
**********************
お茶はもう毎日なくてはならないものですが、
100g千円が売れ筋とは驚いた(笑
高いですよぉ~ねぇ?
普段は100g300円程度のもので十分。奮発しても500円ぐらいかな~?(^^;
と言いながら、100g1800円のお茶をお得意さまには出してます。
はっきり言って味の違いなどわかりません。
このお茶っ葉は色も茶色に近くお茶を出しても緑よりは深緑色(笑
でもお客様には分かるらしくてこの味が大好きだというのでその銘柄をずっと買い続けています。
だから「女性のような品のある香」とか「きりっとして強い」とか言われても「?」です。
普段、スーパーなんかで買っているお茶はさらに値ごろなんだということがよくわかりました。
お茶屋さんなんかで量り売りを買うぐらいなら通といえるかも。
そういえばお友達にお茶の道の達人がいます。
もちろん、お茶屋さんで買っていましたわ。
しかし面白かったですね。
お茶の葉っぱって単独だとそれぞれの個性が強いんですね。
それをブレンドしておいしいお茶に仕上げるというあの工程に惹かれました。
答えの無い問題を解く気持ちというのわかります。
5年間も美味しいお茶を作るというそれだけのために彷徨ったのが、一見挫折のようでも
実はすばらしい熟成期間だったのですね。
静岡の友人は食事しながらもお茶を飲んでると言ってました。
生活に根付いているのね。
最近はカテキンがさまざまな病気予防に役立つということで飲料業界もお茶は拡大傾向。
せっかくだからおいしいお茶をのみたくなりました。
自分で楽しむために100g千円のお茶、手に入れてきます!!(笑
前田さんのお名前がどこかにでてるんでしょうか??
次回は ガン看護専門看護師 田村恵子さん。
お茶の審査技術大会で日本一になり史上初の十段に上り詰めた。
お茶の前田文男ブランドで通じる凄い人という評判。
4月新茶戦争の幕開け。目指すは高級茶をしのぐ手ごろな価格のお茶。
朝4時に起き、あっせんやという仲介業者に向かいました。
市場に出回らない良質のお茶が手に入るそうです。そこで見本の缶がいくつも貰って帰ります。
祖父の代から続く茶問屋。お茶の歴史は300年以上も前から・
将軍家や大名にお茶を治めていたという。
お茶は何種類もの葉を混ぜ合わせることで極上の味を出す。そこが茶師の腕のみせどころ。
手で触って見て、鼻で嗅ぐ。
「お茶の声に耳をすます」なんかが横切ったように感じる。お茶が訴えている。
いくつものサンプルから甘みの強い葉をひとつ選び10Kの注文を出していました。
次は静岡茶市場。九州から茨木までの葉が集まる。
前田の選び方は一味違う。高知の山奥の葉を見つけた。
爽やかな香りが立つが葉の形が悪く敬遠されていたお茶葉。
手を打っています。お互いの数字と合えば手を打つのね。「手を打つ」の意味をそのままです(笑
「良いお茶ではなく伸びるお茶を選ぶ」のが前だの流儀。
手を掛けたときにどれだけ伸びるお茶か見分けるのでした。
高知のお茶は葉がいびつで敬遠されていたが手をかければおいしくなると読んでいた。
型づめし、ひ出しして細かい葉が落ちていき、さらに網でこしています。
残った葉がいいお茶になった。
空手をする前田さん。普段決心が必要なときにこの空手の心得が自分を押してくれるという。
高知の葉っぱを持ってきて最後の仕上げ。他のお茶とブレンドする合組。
苦味と渋みの高知のお茶と水食美しい静岡のお茶のブレンドを作った。
「チームワーク」
葉っぱの持つそれぞれの長所が引き出されるようなチームワークのいいブレンドを作る。
三つの葉の組み合わせ。納得できるお茶にすること。
スタジオin
親指で手のひらに広げるしぐさでお茶を触る感じをみせてくれました。
合組をする工程を実演しています。
それぞれのお茶ッパの表現がすばらしいのね。
女性らしい香と品のある甘み。男らしい苦味、渋み、香。水色がよく出るコクのるお茶。
遠めですっと見て何かを感じたり、色や力強さなと訴えてくるものを見る。
いくつかを何グラムとはかってあわせています。
お湯は70度。1分弱。
合組する前と後での味の違い。
それぞれの単品のお茶を味わうとその特徴の強さが後味として残っている。
そして合組して「おいしい!」と言ってました(笑
短所を打ち消しあうのが合組のよさだそうです。
よくないお茶同士を組み合わせるとおいしくなることもあるので第一印象で悪いからと諦めない。
付き合うことが大事。人間と同じだという。
家では毎日料理を手伝う。
日本屈指の茶師になるまで長い苦悩があった。
茶師の一家。父もお茶一筋の茶師。
前田は大学卒業後別の道を行きたいと電機メーカーに就職。
3年後に父の後を継いで欲しいと祖父に頼まれる。
下積みをしながらお茶の知識を吸収していった。
2年後にはお茶を見分ける審査技術の全国大会で上位入賞。自信を深めた。
転機は2年後大きな仕入れを任された。
片っ端から見ても何かが足りない。納得いくお茶はひとつしかなかった。ひとつだけ買って帰ると
父に怒鳴られた。他にもいいお茶があったはずだ。他のお茶は何かしら欠点があったと返した。
すると父は「お前にはお茶が見えていない」と言った。
そして仕入れをはずされ他の作業にまわされた。
徹底的に向き合うと決め、売れ残ったお茶を持ち帰り研究。1年経ち2年経っても見えてこない。
5年目。葉の形が悪く売れ残っていた高知産の葉に心が動いた。手に取るとずしっと重い。
心にひっかかった。200Kg50万円を買い付けた。そしてお茶葉と向き合った。
何度もふるいにかけ細かく刻み余分な枝も手作業で一つ一つ落とした。
そして合組をし、他のお茶と組み合わせた。すると化けた。
力強い香が他のお茶をひきたて極上の一杯になった。そのお茶を飲んだ父は、
「こういう光るお茶を買ってこい」と言ってくれた!!
ここから茶師の歩みが始まった。
再び茂木さんと。
お父さんの言葉が厳しかったという茂木さん。
前田さんも天狗になっていた心にずしっときたといいます。鼻っ柱をへし折られてショックだったと。
その後、売れ残ったお茶を研究するために市場に通ったことで「手擦れる」ということで最後は怒られた。
5年も触り続けたら諦めそうなものですが、と住吉さん。
終わりのない問題を解いてるような、いつまでも解けない問題を解いてたと思ってた。
お茶の時期になると夢にまで出たといいます。
その5年間を支えてくれたのは何でしたか?と茂木さん。
見る時間を与えてくれた会社・・・すぐに成果を出せといわれたらできなかったかもしれない。
今の自分があるのはそういう時間を与えてくれた会社と父にも感謝しています。
自分で買ったお茶をけなしたら父と祖父に怒られた。
うちに来たお茶は子供と一緒。どうやって伸ばすか考えろ。
根気強く付き合うことが大事だと、絶対によくして世の中に出すと思っています。
「年に一度の大勝負」
前田が1年に手がけるお茶は50種以上。
そのなかでのこだわりは100g千円ほどの手軽に飲める値ごろで一番の売れ筋茶。
値ごろで美味しいお茶は難しい。安い茶葉の中から光る葉を見つけ出す眼力。
お金を出せばそれなりではあるけれど、このあたりから手を掛けていいものを出すのが腕の見せ所。
3つの産地に目をかけていた。静岡牧の原、静岡本山、高知吾川。
この三つを合組みして高級茶に負けない飲みごたえのあるお茶を作る。
しかしスタートよりつまづいた。求めるお茶が見つからない。その原因は雨。
雨がふると収穫できず、葉が育ちすぎて質が落ちてしまう。
あっせん屋に行った前田さん。求める牧の原の見本がありました。急いでもらい、帰宅。
急いでお茶をみてみると様が変わって予想以上によくない。
結局、レベルが足りず仕入れを控えた。
翌日もあっせん屋。で、気になるお茶を発見。荒削りだが品の良い甘みが見え隠れする。
手をかければいいものになると「買い」だと踏んだ。
3つ目のお茶を探して市場に。
「お茶の声に耳をすます」
そして見つけた。何度も触って味も確かめずその場で買った。
ひとつの策。
お茶の中に眠っている香を引き出す伝統の技法、火入れ。
茶葉を高温で煎ることでお茶葉に眠っている香を呼び覚ます。
火入れの命は温度。とっとも力強い香の出る温度を探す。
窯の温度は87度。もう少し上げて89度。飲み比べ。87度がいい。88度でも試す。
求めるのは匂い立つ強い香。88度で決定。
合組しました。
美味しいお茶ができました。
プロフェッショナルとは?
自分の中にある弱い自分に負けない強い心を持ち続けること。
おごることなく謙虚な気持ちを持ち続け常に努力を惜しまない人。
**********************
お茶はもう毎日なくてはならないものですが、
100g千円が売れ筋とは驚いた(笑
高いですよぉ~ねぇ?
普段は100g300円程度のもので十分。奮発しても500円ぐらいかな~?(^^;
と言いながら、100g1800円のお茶をお得意さまには出してます。
はっきり言って味の違いなどわかりません。
このお茶っ葉は色も茶色に近くお茶を出しても緑よりは深緑色(笑
でもお客様には分かるらしくてこの味が大好きだというのでその銘柄をずっと買い続けています。
だから「女性のような品のある香」とか「きりっとして強い」とか言われても「?」です。
普段、スーパーなんかで買っているお茶はさらに値ごろなんだということがよくわかりました。
お茶屋さんなんかで量り売りを買うぐらいなら通といえるかも。
そういえばお友達にお茶の道の達人がいます。
もちろん、お茶屋さんで買っていましたわ。
しかし面白かったですね。
お茶の葉っぱって単独だとそれぞれの個性が強いんですね。
それをブレンドしておいしいお茶に仕上げるというあの工程に惹かれました。
答えの無い問題を解く気持ちというのわかります。
5年間も美味しいお茶を作るというそれだけのために彷徨ったのが、一見挫折のようでも
実はすばらしい熟成期間だったのですね。
静岡の友人は食事しながらもお茶を飲んでると言ってました。
生活に根付いているのね。
最近はカテキンがさまざまな病気予防に役立つということで飲料業界もお茶は拡大傾向。
せっかくだからおいしいお茶をのみたくなりました。
自分で楽しむために100g千円のお茶、手に入れてきます!!(笑
前田さんのお名前がどこかにでてるんでしょうか??
次回は ガン看護専門看護師 田村恵子さん。
06/18/2008 おせん 第9話
今回は最終章の前編というところでした。ヤマジョウの本枯節が残るかどうかの瀬戸際です。
一升庵の門前に停まっているパトカー。なんと、おせん(蒼井優)が、殴打事件を起こしたという。馴染みの乾物屋で、入院した店の大将(久保酎吉)の代わりに店を切り盛りする息子(山中聡)が、作る手間が全く違う「本枯節」と「荒節」の区別は客にはわからないと言い切り、適当な商売をするその姿勢に思わず手が出てしまったのだ!
その店の鰹節の仕入先で、静岡の焼津にある「ヤマジョウ」が本枯節の製造中止を決めた。おせんは生まれたときから「ヤマジョウの本枯節」で育ってきたのだ。その味が消える・・・。いてもたってもいられなくなったおせんは江崎(内博貴)と共に焼津に向かうことに。
「ヤマジョウ」の社長(夏八木勲)は、鰹節の天才職人と言われた「藤坂二郎」の背中を追って本枯節作りに打ち込んでいたという思いをおせんに打ち明けながらも、もう妻と工員に無理はさせられないと告げる。
矢田(加藤雅也)という男の会社・エンプールが鰹節パックの大工場を作るので、その下請けを、と勧められているようだ。「ヤマジョウ」は借金に苦しみ、従業員たちの生活を守るためにもそれ以外、他に選択肢がないというのだ。
時代の波に消えゆく運命のようにもみえる「本枯節」。
どうしていいかわからないおせんの側で、留吉(向井理)も鰹節に対しては大きなわだかまりがあるようにみえる。実は、留吉の実家は鹿児島・山川の鰹節工場だという・・・。
そんなある夜、おせんは常連客から矢田が「カツブシ王子」と呼ばれ、彼の父が有名な「鰹節職人」藤坂二郎だったことを知る。
自分には何も出来ないと悩んでいるおせんに、江崎は「一升庵を守るためなら何でもするのがおせんさんの仕事。必死で一升庵を守ろうとしているとは思えない」と言ってしまう。
翌朝おせんは、矢田にヤマジョウの件を考え直して欲しいと告げに行く。「あなたのお母さんが誇りだと言った、その本枯節がこの世からなくなってしまっていいんですか」と。矢田は静かに怒りを見せながら「それは私のせいではない。時代の趨勢。大衆の嗜好。日本という国がおのずからそれを求めたのだ」「私の中で、本枯節は藤坂二郎で終わったのだ」と言い放つのだった。
一升庵ではヤマジョウの社長夫婦から、最後に自分たちが作ってきた本枯節で作った料理を味わいたいと予約が入った。2人を迎えたおせんは矢田が藤坂二郎の息子であった事を告げ、矢田に余計なことをしてしまった、契約に悪い影響があったら申し訳ない、と詫びる。自分もきっと同じ事をしたからと、ヤマジョウの社長は微笑むのだった。
そして、鹿児島で有名な鰹節そのままの味を味わえる「茶節」を出すため、留吉が給仕を申し出ていた。
「鰹節はかきたてをとっとと喰うのがいちばん美味いですから」
おせんは、丁寧に丁寧に本枯節を鰹箱でかく。大女将(由紀さおり)に5歳の時から教えられたように・・・。
おせんにかきたての鰹節を出された社長は、涙ながらになんでこんなにうまいものを皆が食ってくれねぇのか・・・とつぶやく。
給仕を手伝っていた留吉が、自分の父は本枯節を作っていたが、借金が膨らんで削りパック工場に転換したと話し始める。生活は驚くほど楽になって家族を守るために本枯節を捨てる決断をした父を恨んではいない、しかし父親の自慢だった本枯節を作らせてあげられないことが寂しい、二度と「うちの父ちゃんは日本一の鰹節作ってるんだ」と言えないのが悔しいと・・・。その話を聞きヤマジョウの女将(李麗仙)はもう一度なんとかならないかと言葉を詰まらせる。うちの鰹節は、私と、工場のみんなの誇りなのだと・・・。
おせんは意を決し「この味を舌に刻み、受け継ぎ、繋ぐ―、それが女将の仕事だと先代より教えられました。それこそが私の生きる意味だと友に教えられました。そしてそれは一升庵を繋ぐ事。これだけの香り・味・仕事・心意気、一升庵200年の暖簾に誓い、わっちが継がせていただきます!」と言い切る。
おせんは契約の際、矢田守を一升庵に招き、矢田の舌の記憶に訴えてみるというのだが・・・。
以上HPより引用
本枯節というの知らなかった。みんなひとくくりに鰹節だと思ってますよね。
荒節は鰹を燻して乾燥させたもの。燻して乾燥を繰り返して約ひと月ぐらいで完成。
本枯節はこの荒節に5~6回カビをつけて天日にさらしたもの。
本枯節は完成まで半年かかるそうです。手間のかかるものなんですね。
商品として「かつお削り節」が荒節。「かつお節削り節」が本枯節。
詳しい留さんでしたが実家が鰹節工場だったのでした!!
舌の記憶は10歳までに作られる。10歳までに美味しいと感じたものを舌は生涯追い求めるとか。
おせんちゃんにとってはヤマジョウの本枯節が舌の記憶なのでした。
静岡の焼津。潮の香と鰹節の香で世界一贅沢な深呼吸だそうです^^
鰹節作りの工程をみていると気が遠くなるほど手間がかかって面倒です。
ここまでしてようやく出来る鰹節に尊敬してしまいそう。
「もう許してや」この言葉に工場を維持していく大変さがにじみ出ていました。
エンプールの矢田が加藤雅也でした。
今は機械も優秀だという矢田。なんとなく嫌味さが出ています。
たぶん、ヤマジョウの社長はたとえ資金があったとしても手作りにこだわったということを見抜いています。
社長が工場を引き渡したとしても、隅っこのほうで本枯節を作らせて欲しいと願うが、嫌ならやめて
いいとけんもほろろです。冷たいねえ。
おせんちゃんも力足らずで帰ってきましたが、清二さんは本枯のよさを伝える料理を作ることで
世の中に広めるだけだと言っています。
お客で来たエンプールの部長に矢田の事を聞いてみたら「かつ節王子」と呼ばれてるらしい。
社長にじきじき任されてるほどのやり手。しかも鰹節職人の息子だと聞いてしまいます。
なんとヤマジョウの社長が師と追いかけていた藤坂二郎の息子でした。
何か理由があるのかも?
留さんは借金の恐さを知り尽くしているみたいです。下手に動いて工場売却がおじゃんになったら
それこそ工員たちの雇用も、ヤマジョウの借金もふいになるので勝手なことはできないと言います。
しかしよっちゃんは、おせんちゃんが何もしないのが歯がゆい。
おせんに向かって「必死で一升庵を守ろうとしてない」と断じてしまいます。
とにかくヤマジョウの社長にどこか隅っこででも本枯節を作ってもらいたいと言うのでした。
翌日おせんちゃんはエンプールの矢田のところにでかけていきます。アポもとらずに行ったので受付
に相手にされてませんが本人を見つけておいかけました。
墓参りをしている矢田。矢田は父親の藤坂二郎は鰹節の天才でも人間として最低だったというのでした。
ただ母が藤坂を誇りに思っていたから墓守だけはするという程度だと。
おせんちゃんはお母様の誇りであった本枯節がなくなってもいいのかと問いますが、
それは自分のせいではなくこの国の嗜好の変化だからしょうがないのだというのでした。
そしてヤマジョウ夫婦の予約。自分達の本枯節の料理を最後に食べたいという希望です。
茶節を持ってきた留さん。おせんちゃんが突然土下座です。昨日、守さんに・・・・。
明日の契約に不利なことがあったら自分のせいだというおせんちゃんですが、もしも藤坂の息子
だと知ってたら自分も同じ事を言ったと寛大なヤマジョウ社長。
おせんちゃんは5歳から母親に仕込まれたように鰹節を丁寧に削っています。
削りたてを食べておいしさに夫婦はニコニコ。
おせんちゃんも母から味をつなげといわれたことを思い出しています。
留さんのお父さんも本枯を作っていたと語りだしました。日本一おいしいと子供のころ自慢していたと
いう。でも本枯を捨てて削りパック工場に変わった。生活は楽になり父親は外車に乗ったとか。
父親を恨む気持ちはないけど、だけど、二度と「日本一のかつお節を作ってる」と言ってやれないのが
悔しいと。ヤマジョウの奥さんは何かいい知恵は無いかと聞きます。
社長は工場の誇りなんだといいました。
おせんちゃんは「つなぐ」ことが仕事だと先代女将から受け継いだと話します。
この舌に味をきざみ、受け継ぎつなぐ。それが女将の仕事だと教わったといいます。
この味をつながせていただきますとおせんちゃんはゆっくりとお辞儀をしました。
よっちゃんが以前いたお店で新パフォーマンスを教えています。
削りたての鰹節と麦味噌にお茶を注ぐ。見た目も味わいも和風でステキ。
一見地味だけれどこれは受けるんでは。
よっちゃんは何度も「ヤマジョウの本枯節」と売り込んでいました。
一升庵では、契約の際に矢田にお料理を出すと言っています。
藤坂の本枯で育った矢田は強烈に舌の記憶を求めているはずだというのでした。
同じ頃、料理屋の板前が自分の鰹節は本枯しか使ってないと自慢しますが、矢田はお吸い物を
食してすぐにその本枯は2番までしか天日にあててないとズバリ当てています。
枯れ具合も不十分で魚くさい。こんなモノがまかり通るくらいならいっそないほうがいいとまで言って
いますが、そこに社長がその通りだと現れました。
慌ててかつお節の一片をポケットにしまった矢田です。
しかし、この社長は料理に血道を上げるのは愚か者だと言い放ってます。
おせんちゃんは本枯節をたいせつそうに見ていましたが・・・。
次回最終回。
**************
この社長も日本の味わいを消そうとしてるのがわかってないんですね。
おせんちゃんの本枯料理でがつんとニッポンの魂を揺り動かしてもらいたいものです。
今週はよっちゃんが茶節のご披露してました。
お茶担当だけにお茶をいれてのパフォーマンス。
簡単ですがおいしそうでした。
鰹節は削られたパックになってるものしか使ったことないですわ。
でも鰹節って大好きよ。
そのままおやつ代わりに食べてもいいのよね☆
その店の鰹節の仕入先で、静岡の焼津にある「ヤマジョウ」が本枯節の製造中止を決めた。おせんは生まれたときから「ヤマジョウの本枯節」で育ってきたのだ。その味が消える・・・。いてもたってもいられなくなったおせんは江崎(内博貴)と共に焼津に向かうことに。
「ヤマジョウ」の社長(夏八木勲)は、鰹節の天才職人と言われた「藤坂二郎」の背中を追って本枯節作りに打ち込んでいたという思いをおせんに打ち明けながらも、もう妻と工員に無理はさせられないと告げる。
矢田(加藤雅也)という男の会社・エンプールが鰹節パックの大工場を作るので、その下請けを、と勧められているようだ。「ヤマジョウ」は借金に苦しみ、従業員たちの生活を守るためにもそれ以外、他に選択肢がないというのだ。
時代の波に消えゆく運命のようにもみえる「本枯節」。
どうしていいかわからないおせんの側で、留吉(向井理)も鰹節に対しては大きなわだかまりがあるようにみえる。実は、留吉の実家は鹿児島・山川の鰹節工場だという・・・。
そんなある夜、おせんは常連客から矢田が「カツブシ王子」と呼ばれ、彼の父が有名な「鰹節職人」藤坂二郎だったことを知る。
自分には何も出来ないと悩んでいるおせんに、江崎は「一升庵を守るためなら何でもするのがおせんさんの仕事。必死で一升庵を守ろうとしているとは思えない」と言ってしまう。
翌朝おせんは、矢田にヤマジョウの件を考え直して欲しいと告げに行く。「あなたのお母さんが誇りだと言った、その本枯節がこの世からなくなってしまっていいんですか」と。矢田は静かに怒りを見せながら「それは私のせいではない。時代の趨勢。大衆の嗜好。日本という国がおのずからそれを求めたのだ」「私の中で、本枯節は藤坂二郎で終わったのだ」と言い放つのだった。
一升庵ではヤマジョウの社長夫婦から、最後に自分たちが作ってきた本枯節で作った料理を味わいたいと予約が入った。2人を迎えたおせんは矢田が藤坂二郎の息子であった事を告げ、矢田に余計なことをしてしまった、契約に悪い影響があったら申し訳ない、と詫びる。自分もきっと同じ事をしたからと、ヤマジョウの社長は微笑むのだった。
そして、鹿児島で有名な鰹節そのままの味を味わえる「茶節」を出すため、留吉が給仕を申し出ていた。
「鰹節はかきたてをとっとと喰うのがいちばん美味いですから」
おせんは、丁寧に丁寧に本枯節を鰹箱でかく。大女将(由紀さおり)に5歳の時から教えられたように・・・。
おせんにかきたての鰹節を出された社長は、涙ながらになんでこんなにうまいものを皆が食ってくれねぇのか・・・とつぶやく。
給仕を手伝っていた留吉が、自分の父は本枯節を作っていたが、借金が膨らんで削りパック工場に転換したと話し始める。生活は驚くほど楽になって家族を守るために本枯節を捨てる決断をした父を恨んではいない、しかし父親の自慢だった本枯節を作らせてあげられないことが寂しい、二度と「うちの父ちゃんは日本一の鰹節作ってるんだ」と言えないのが悔しいと・・・。その話を聞きヤマジョウの女将(李麗仙)はもう一度なんとかならないかと言葉を詰まらせる。うちの鰹節は、私と、工場のみんなの誇りなのだと・・・。
おせんは意を決し「この味を舌に刻み、受け継ぎ、繋ぐ―、それが女将の仕事だと先代より教えられました。それこそが私の生きる意味だと友に教えられました。そしてそれは一升庵を繋ぐ事。これだけの香り・味・仕事・心意気、一升庵200年の暖簾に誓い、わっちが継がせていただきます!」と言い切る。
おせんは契約の際、矢田守を一升庵に招き、矢田の舌の記憶に訴えてみるというのだが・・・。
以上HPより引用
本枯節というの知らなかった。みんなひとくくりに鰹節だと思ってますよね。
荒節は鰹を燻して乾燥させたもの。燻して乾燥を繰り返して約ひと月ぐらいで完成。
本枯節はこの荒節に5~6回カビをつけて天日にさらしたもの。
本枯節は完成まで半年かかるそうです。手間のかかるものなんですね。
商品として「かつお削り節」が荒節。「かつお節削り節」が本枯節。
詳しい留さんでしたが実家が鰹節工場だったのでした!!
舌の記憶は10歳までに作られる。10歳までに美味しいと感じたものを舌は生涯追い求めるとか。
おせんちゃんにとってはヤマジョウの本枯節が舌の記憶なのでした。
静岡の焼津。潮の香と鰹節の香で世界一贅沢な深呼吸だそうです^^
鰹節作りの工程をみていると気が遠くなるほど手間がかかって面倒です。
ここまでしてようやく出来る鰹節に尊敬してしまいそう。
「もう許してや」この言葉に工場を維持していく大変さがにじみ出ていました。
エンプールの矢田が加藤雅也でした。
今は機械も優秀だという矢田。なんとなく嫌味さが出ています。
たぶん、ヤマジョウの社長はたとえ資金があったとしても手作りにこだわったということを見抜いています。
社長が工場を引き渡したとしても、隅っこのほうで本枯節を作らせて欲しいと願うが、嫌ならやめて
いいとけんもほろろです。冷たいねえ。
おせんちゃんも力足らずで帰ってきましたが、清二さんは本枯のよさを伝える料理を作ることで
世の中に広めるだけだと言っています。
お客で来たエンプールの部長に矢田の事を聞いてみたら「かつ節王子」と呼ばれてるらしい。
社長にじきじき任されてるほどのやり手。しかも鰹節職人の息子だと聞いてしまいます。
なんとヤマジョウの社長が師と追いかけていた藤坂二郎の息子でした。
何か理由があるのかも?
留さんは借金の恐さを知り尽くしているみたいです。下手に動いて工場売却がおじゃんになったら
それこそ工員たちの雇用も、ヤマジョウの借金もふいになるので勝手なことはできないと言います。
しかしよっちゃんは、おせんちゃんが何もしないのが歯がゆい。
おせんに向かって「必死で一升庵を守ろうとしてない」と断じてしまいます。
とにかくヤマジョウの社長にどこか隅っこででも本枯節を作ってもらいたいと言うのでした。
翌日おせんちゃんはエンプールの矢田のところにでかけていきます。アポもとらずに行ったので受付
に相手にされてませんが本人を見つけておいかけました。
墓参りをしている矢田。矢田は父親の藤坂二郎は鰹節の天才でも人間として最低だったというのでした。
ただ母が藤坂を誇りに思っていたから墓守だけはするという程度だと。
おせんちゃんはお母様の誇りであった本枯節がなくなってもいいのかと問いますが、
それは自分のせいではなくこの国の嗜好の変化だからしょうがないのだというのでした。
そしてヤマジョウ夫婦の予約。自分達の本枯節の料理を最後に食べたいという希望です。
茶節を持ってきた留さん。おせんちゃんが突然土下座です。昨日、守さんに・・・・。
明日の契約に不利なことがあったら自分のせいだというおせんちゃんですが、もしも藤坂の息子
だと知ってたら自分も同じ事を言ったと寛大なヤマジョウ社長。
おせんちゃんは5歳から母親に仕込まれたように鰹節を丁寧に削っています。
削りたてを食べておいしさに夫婦はニコニコ。
おせんちゃんも母から味をつなげといわれたことを思い出しています。
留さんのお父さんも本枯を作っていたと語りだしました。日本一おいしいと子供のころ自慢していたと
いう。でも本枯を捨てて削りパック工場に変わった。生活は楽になり父親は外車に乗ったとか。
父親を恨む気持ちはないけど、だけど、二度と「日本一のかつお節を作ってる」と言ってやれないのが
悔しいと。ヤマジョウの奥さんは何かいい知恵は無いかと聞きます。
社長は工場の誇りなんだといいました。
おせんちゃんは「つなぐ」ことが仕事だと先代女将から受け継いだと話します。
この舌に味をきざみ、受け継ぎつなぐ。それが女将の仕事だと教わったといいます。
この味をつながせていただきますとおせんちゃんはゆっくりとお辞儀をしました。
よっちゃんが以前いたお店で新パフォーマンスを教えています。
削りたての鰹節と麦味噌にお茶を注ぐ。見た目も味わいも和風でステキ。
一見地味だけれどこれは受けるんでは。
よっちゃんは何度も「ヤマジョウの本枯節」と売り込んでいました。
一升庵では、契約の際に矢田にお料理を出すと言っています。
藤坂の本枯で育った矢田は強烈に舌の記憶を求めているはずだというのでした。
同じ頃、料理屋の板前が自分の鰹節は本枯しか使ってないと自慢しますが、矢田はお吸い物を
食してすぐにその本枯は2番までしか天日にあててないとズバリ当てています。
枯れ具合も不十分で魚くさい。こんなモノがまかり通るくらいならいっそないほうがいいとまで言って
いますが、そこに社長がその通りだと現れました。
慌ててかつお節の一片をポケットにしまった矢田です。
しかし、この社長は料理に血道を上げるのは愚か者だと言い放ってます。
おせんちゃんは本枯節をたいせつそうに見ていましたが・・・。
次回最終回。
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この社長も日本の味わいを消そうとしてるのがわかってないんですね。
おせんちゃんの本枯料理でがつんとニッポンの魂を揺り動かしてもらいたいものです。
今週はよっちゃんが茶節のご披露してました。
お茶担当だけにお茶をいれてのパフォーマンス。
簡単ですがおいしそうでした。
鰹節は削られたパックになってるものしか使ったことないですわ。
でも鰹節って大好きよ。
そのままおやつ代わりに食べてもいいのよね☆
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