06/25/2008 NHKプロフェッショナル (ガン看護専門看護師 田村恵子)
今週は涙なしでは見られませんでした。ホスピスケアの看護師、田村さん(50)の仕事の流儀。
オープニングはお花見をする患者さんたちとその家族や病院スタッフの皆さん。
田村さんはひと際笑顔です。
ガン医療の高度な知識と技術を持つガン専門看護師。そのパイオニアの一人が田村恵子さん。
終わりはあるけれど生きる希望を持って最後まで生ききる。
「希望は必ず見つかる」
田村さんの勤め先は大阪の淀川キリスト病院。607床の総合病院。
ナース服を選ぶことから一日が始まる。この日はピンクを選ぶ。患者さんがしんどくなってきてるから。
ここの7階のホスピスケア病床で21人の看護師を束ねる師長。看護歴20年。
入院の患者さんはガンの治療の余地がないと宣告された方。
ガン治療を行わず苦痛を和らげる緩和ケアをするのが田村さんたち。
「声にならない声を聞く」
言葉では正確に伝えきれない患者さんの痛みを聞き取る。
顔や表情で伝わるものがあるという。
患者さんたちは迫り来る死に対して恐怖や後悔の念など苦しみを抱えている。
その心の痛みを癒すのも大事な仕事。
肺がんの女性患者さんは痛みガ落ち着いてきたので自宅で家族と暮らす時間を作ることにした。
しかしそれが家族に迷惑をかけるのではと気に病み泣いてしまった。
自分が生き続けることで迷惑をかけると思っている様子だと田村さんはいう。
患者さんのベッドと同じくらいの高さになりとことん話し合うことにした。
希望もなく辛いといい続ける患者さんと1時間ぐらい話していたら、いつのまにか患者さんは
前向きになっていた。「うんうん、つらいね・・そうね・・・」という田村さんの穏やかな笑顔がありました。。
その数日後、笑顔で自宅に帰っていったという。
4月に入院した男性患者さん(36)は舌癌が転移して皮膚がんに進行していた。
医学的には治療の余地はない状態。でも患者さんはもう一度放射線治療に挑みたいという。
すぐに医師たちと会議。医師だけじゃなく看護師も話し合う。
リスクの高さを伝えたうえで本人の選択を促すことにした。
男性の決意は固く、放射線治療を行うことにした。しかしその後は苦痛が高まる予想がある。
田村さんたちは全力で患者さんを支えることを決意していた。
「支えるのは自分らしい人生」
しかしその患者さんは退院してから3週間後、救急車で運ばれてきた。
皮膚からの出血が止まらなくなっていた。
自分でもこんなに早く帰ってくるとは思ってなかったと言っていました。
男性は田村さんに「やりきった」ということを繰り返し話しています。「うんうん」とニコニコして聞いて
いましたが、田村さんが立ち上がったら手を差し出して「ありがとう」と言っていました。
その5日後、男性は亡くなりました。
一人涙する田村さん。
ひとしきり泣いた後、振り切り笑顔になり、次の患者さんに向かいました。
「スタジオin」
命の重さと向き合う日々でね・・と茂木さん。
現場を離れてこうして映像をご覧になるとどんな思いが・・?by住吉さん
ニコニコしていた田村さんがふっと泣きそうに歪みました。
それぞれの人の人生がよみがえってくる感じです。
それを見て住吉さんも涙がぽろぽろ落ちています。
離れているよりも現場にいて患者さんを前にしたほうがニッコリできるかもしれません。
「生き抜いた」という支えがあればいいという。
田村さんはどうやってご自身の心のケアをされていますか?by茂木さん
悲しくないといえば嘘ですが、生き方を間近で見せていただき、生ききった人のパワーを頂いて
次に向かう人に少しでも役立てたらと思う。そんなに萎えてしまう時間もありませんし・・。
痛みを取り除くことはどれくらいできる?by住吉さん。
今は最も痛みを取れるようになってきたそうです。痛みで入院してきた患者さんも7~8割は痛みが
取り除かれている。症状が消えるとその後の生活を考えることもできるし生き方を広げることもできる。
自宅に帰ることで悲観的だった患者さんが前向きに変わっていったことを茂木さんは聞いています。
こういうことはかなりあるそうです。なぜですか?と聞く住吉さん。
今を生きなくてはという思いが患者さんに湧いてくるという。遠い先は分からないけど明日のことを
考えることはできる。うちに帰ったらこんなこともできるかなと、もう一回生きてみようと思い始める。
覚悟が決まった人間は強いですか?と茂木さん。
凄く強いと思います。キッパリ。
「希望は必ず見つかる」
この信念はガンで亡くなった友人に教わった。
その人は秀隆さん(当時35歳)。10年前ボランティア活動で知り合った人。
その時、虫垂ガンで手術をしたばかりだったが、再発を怖れて自分の殻にとじこもっていた。
自分の人生はガンになっただけの人生。
言葉の限りに励ましたが悲観的な様子は変わらなかった・
「何かしたい事はないのか?」つい言ってしまった田村さん。
秀隆さんは応えなかった。でもそれから2ヵ月後に「ピアノが好き」だと言うことを話してくれた。
病院のピアノを弾いて患者さんたちを楽しませてくれるようにまで、心境の変化があった。
その後ガンは再発。手術は不可能と診断。
でも秀隆さんは前向きに生き、バイオリンを始め、フランス語を習い自分の世界を広げていった。
最後は田村さんの病院に入院、「幸せだった」と旅立っていった。
秀隆さんの様子を聞く茂木さん。
前向きな生き方を実践し、体は辛くなっていたのに大阪から京都までバイオリンを習いに行ったり
お友達と映画に出かけていった。印象的だったのは生きた証を残したいと本を作ることにした。
なくなる日までずっと続いていて毎日が充実していた。
秀隆さんとは7年間友情を育まれていたと聞きますが亡くなったときはどんな思いでしたか?by住吉さん
その日は朝から具合が悪く、また本の装丁が上がってくる日だった。見られるかどうか心配していた。
お昼ぐらいに上がってきて秀隆さんはそれを見て「うんうん・・・これでいい」と満足してくれた。
その数時間後に亡くなったという。
やりきったという人生を一緒に分けてもらった気がした。
病気になったら諦めなくてはいけないものがあるけれど秀隆さんは逆に積極的に生きたと茂木さん。
その明るさはどこから?
その日そのときを大事にしようというのはあったと思います。
体はしんどくなっていくけれど心の持ち方で豊かに生きられることを彼自身が実感していたのでは。
人には前向きに生きていく力があると思うという田村さん。
人間は一人でいきてるわけじゃない。自分の生が終わるとわかって、自分をはぐくんだものは何かと
思うようになる。そして一つ一つ検証していって残ったものは身近の親しい人たちのこと。
こういう人たちに支えられているという思いがあれば頑張ろうという前向きさが宿ってくるという。
「絆を支える」
4月半ば。永田さん56歳。
直腸がんから肝臓に転移。治療はできないと宣告された患者さん。
永田さんの心配は娘さんのこと。6/7に結婚するという。それまで生きていたい・・・
医師としては早くして欲しいということだけしか言えないそうです・・・無理かどうか・・わからない・・
式はひと月半後のことです。実は厳しいようです・・。
永田さんには現在の病状をさほど深刻に考えていない様子がありました。
10日後、永田さんが緊急入院してきた。
絶えられないほどの痛みに襲われた。ところが痛みの様子を覚えてないという。
意識障害が現れているという。
記憶があいまいな意識障害が始まると最後の時があと数週間といわれている。
娘が二人いるけれどひとりぐらいは結婚式を見ておきたいという永田さん。
一週間後、足のむくみがひどくなっています。リンパ液の流れが滞っているそうです。
肝臓の腫瘍が大きくなっていた。おなかもかなりふくらんで見えました。
田村さんは永田さんのためにできることをずっと考え続けていました。
そして家族を呼んで病状説明。医師からは来月までは難しいと言っています。
田村さんからの提案は花嫁衣裳で早めに記念撮影を撮ってもらうことはできないかということ。
結婚式を控えた次女は絶対にそれはお父さんが喜ぶといいました。前撮りはできるという。
しかしそれを言う事は、式まで生きられないことを告げるようなもの。悩みます。
その一週間後、腫瘍が内臓を圧迫し吐き気に襲われる永田さん。
いつ急変してもおかしくないところまできていました。
田村さんは多くの別れを経験し一つの確信があった。
自分の最後を納得できれば患者さんは安らかに旅立っていく
「心残さず生ききる」
お父さんに伝えることを決心。それが5/15でした。式は6/7ですが・・・
ところが記念写真を撮ることを家族は言い出せない・・・。
背中を押されて田村さんが説明。
式には行けたら支えるし応援するけれど結婚式の写真を先に撮れるシステムがあるから
いかがでしょうかと聞きました。
すぐに「それは、したいですね」とお父さんが応えました。
そして準備に入ります。寸秒を争う状態のお父さんでした。
3日後の5/18に病院のチャペルを使いました。
きれいな花嫁さん。ウエディングドレスが長くてステキ。
車椅子に座るのも苦痛なお父さんは意識を保つだけで精一杯だったようです。
でも穏やかに写真を撮影。
翌日から意識が低下。翌々日、亡くなりました。写真が間に合ってよかった。
「プロフェッショナルとは」
私の中のこれまでの経験に基づいてできている直感を信じてゆるがないこと。
そして相手の力をそれ以上に信じてあきらめない。
*******************
ホスピスですから最期を迎える患者さんと過ごすことになるんですね。
死と隣り合わせのようですが、前向きに生きることを友人から教わり
それから、その生き方を支える道を歩んできたという田村さんでした。
多くの患者さんが出演してくれてましたが
それぞれの人生を思って涙していた田村さんが印象的です。
最初から最後まで泣きっぱなしでした。
痛みに絶望して入院した患者さんたちも田村さんの笑顔に支えられ
最期を迎えるまでよりパワフルに生きようとする前向きさが出てきたことでしょう。
次回は プロ野球選手 宮本慎也さん 37歳
田村さんはひと際笑顔です。
ガン医療の高度な知識と技術を持つガン専門看護師。そのパイオニアの一人が田村恵子さん。
終わりはあるけれど生きる希望を持って最後まで生ききる。
「希望は必ず見つかる」
田村さんの勤め先は大阪の淀川キリスト病院。607床の総合病院。
ナース服を選ぶことから一日が始まる。この日はピンクを選ぶ。患者さんがしんどくなってきてるから。
ここの7階のホスピスケア病床で21人の看護師を束ねる師長。看護歴20年。
入院の患者さんはガンの治療の余地がないと宣告された方。
ガン治療を行わず苦痛を和らげる緩和ケアをするのが田村さんたち。
「声にならない声を聞く」
言葉では正確に伝えきれない患者さんの痛みを聞き取る。
顔や表情で伝わるものがあるという。
患者さんたちは迫り来る死に対して恐怖や後悔の念など苦しみを抱えている。
その心の痛みを癒すのも大事な仕事。
肺がんの女性患者さんは痛みガ落ち着いてきたので自宅で家族と暮らす時間を作ることにした。
しかしそれが家族に迷惑をかけるのではと気に病み泣いてしまった。
自分が生き続けることで迷惑をかけると思っている様子だと田村さんはいう。
患者さんのベッドと同じくらいの高さになりとことん話し合うことにした。
希望もなく辛いといい続ける患者さんと1時間ぐらい話していたら、いつのまにか患者さんは
前向きになっていた。「うんうん、つらいね・・そうね・・・」という田村さんの穏やかな笑顔がありました。。
その数日後、笑顔で自宅に帰っていったという。
4月に入院した男性患者さん(36)は舌癌が転移して皮膚がんに進行していた。
医学的には治療の余地はない状態。でも患者さんはもう一度放射線治療に挑みたいという。
すぐに医師たちと会議。医師だけじゃなく看護師も話し合う。
リスクの高さを伝えたうえで本人の選択を促すことにした。
男性の決意は固く、放射線治療を行うことにした。しかしその後は苦痛が高まる予想がある。
田村さんたちは全力で患者さんを支えることを決意していた。
「支えるのは自分らしい人生」
しかしその患者さんは退院してから3週間後、救急車で運ばれてきた。
皮膚からの出血が止まらなくなっていた。
自分でもこんなに早く帰ってくるとは思ってなかったと言っていました。
男性は田村さんに「やりきった」ということを繰り返し話しています。「うんうん」とニコニコして聞いて
いましたが、田村さんが立ち上がったら手を差し出して「ありがとう」と言っていました。
その5日後、男性は亡くなりました。
一人涙する田村さん。
ひとしきり泣いた後、振り切り笑顔になり、次の患者さんに向かいました。
「スタジオin」
命の重さと向き合う日々でね・・と茂木さん。
現場を離れてこうして映像をご覧になるとどんな思いが・・?by住吉さん
ニコニコしていた田村さんがふっと泣きそうに歪みました。
それぞれの人の人生がよみがえってくる感じです。
それを見て住吉さんも涙がぽろぽろ落ちています。
離れているよりも現場にいて患者さんを前にしたほうがニッコリできるかもしれません。
「生き抜いた」という支えがあればいいという。
田村さんはどうやってご自身の心のケアをされていますか?by茂木さん
悲しくないといえば嘘ですが、生き方を間近で見せていただき、生ききった人のパワーを頂いて
次に向かう人に少しでも役立てたらと思う。そんなに萎えてしまう時間もありませんし・・。
痛みを取り除くことはどれくらいできる?by住吉さん。
今は最も痛みを取れるようになってきたそうです。痛みで入院してきた患者さんも7~8割は痛みが
取り除かれている。症状が消えるとその後の生活を考えることもできるし生き方を広げることもできる。
自宅に帰ることで悲観的だった患者さんが前向きに変わっていったことを茂木さんは聞いています。
こういうことはかなりあるそうです。なぜですか?と聞く住吉さん。
今を生きなくてはという思いが患者さんに湧いてくるという。遠い先は分からないけど明日のことを
考えることはできる。うちに帰ったらこんなこともできるかなと、もう一回生きてみようと思い始める。
覚悟が決まった人間は強いですか?と茂木さん。
凄く強いと思います。キッパリ。
「希望は必ず見つかる」
この信念はガンで亡くなった友人に教わった。
その人は秀隆さん(当時35歳)。10年前ボランティア活動で知り合った人。
その時、虫垂ガンで手術をしたばかりだったが、再発を怖れて自分の殻にとじこもっていた。
自分の人生はガンになっただけの人生。
言葉の限りに励ましたが悲観的な様子は変わらなかった・
「何かしたい事はないのか?」つい言ってしまった田村さん。
秀隆さんは応えなかった。でもそれから2ヵ月後に「ピアノが好き」だと言うことを話してくれた。
病院のピアノを弾いて患者さんたちを楽しませてくれるようにまで、心境の変化があった。
その後ガンは再発。手術は不可能と診断。
でも秀隆さんは前向きに生き、バイオリンを始め、フランス語を習い自分の世界を広げていった。
最後は田村さんの病院に入院、「幸せだった」と旅立っていった。
秀隆さんの様子を聞く茂木さん。
前向きな生き方を実践し、体は辛くなっていたのに大阪から京都までバイオリンを習いに行ったり
お友達と映画に出かけていった。印象的だったのは生きた証を残したいと本を作ることにした。
なくなる日までずっと続いていて毎日が充実していた。
秀隆さんとは7年間友情を育まれていたと聞きますが亡くなったときはどんな思いでしたか?by住吉さん
その日は朝から具合が悪く、また本の装丁が上がってくる日だった。見られるかどうか心配していた。
お昼ぐらいに上がってきて秀隆さんはそれを見て「うんうん・・・これでいい」と満足してくれた。
その数時間後に亡くなったという。
やりきったという人生を一緒に分けてもらった気がした。
病気になったら諦めなくてはいけないものがあるけれど秀隆さんは逆に積極的に生きたと茂木さん。
その明るさはどこから?
その日そのときを大事にしようというのはあったと思います。
体はしんどくなっていくけれど心の持ち方で豊かに生きられることを彼自身が実感していたのでは。
人には前向きに生きていく力があると思うという田村さん。
人間は一人でいきてるわけじゃない。自分の生が終わるとわかって、自分をはぐくんだものは何かと
思うようになる。そして一つ一つ検証していって残ったものは身近の親しい人たちのこと。
こういう人たちに支えられているという思いがあれば頑張ろうという前向きさが宿ってくるという。
「絆を支える」
4月半ば。永田さん56歳。
直腸がんから肝臓に転移。治療はできないと宣告された患者さん。
永田さんの心配は娘さんのこと。6/7に結婚するという。それまで生きていたい・・・
医師としては早くして欲しいということだけしか言えないそうです・・・無理かどうか・・わからない・・
式はひと月半後のことです。実は厳しいようです・・。
永田さんには現在の病状をさほど深刻に考えていない様子がありました。
10日後、永田さんが緊急入院してきた。
絶えられないほどの痛みに襲われた。ところが痛みの様子を覚えてないという。
意識障害が現れているという。
記憶があいまいな意識障害が始まると最後の時があと数週間といわれている。
娘が二人いるけれどひとりぐらいは結婚式を見ておきたいという永田さん。
一週間後、足のむくみがひどくなっています。リンパ液の流れが滞っているそうです。
肝臓の腫瘍が大きくなっていた。おなかもかなりふくらんで見えました。
田村さんは永田さんのためにできることをずっと考え続けていました。
そして家族を呼んで病状説明。医師からは来月までは難しいと言っています。
田村さんからの提案は花嫁衣裳で早めに記念撮影を撮ってもらうことはできないかということ。
結婚式を控えた次女は絶対にそれはお父さんが喜ぶといいました。前撮りはできるという。
しかしそれを言う事は、式まで生きられないことを告げるようなもの。悩みます。
その一週間後、腫瘍が内臓を圧迫し吐き気に襲われる永田さん。
いつ急変してもおかしくないところまできていました。
田村さんは多くの別れを経験し一つの確信があった。
自分の最後を納得できれば患者さんは安らかに旅立っていく
「心残さず生ききる」
お父さんに伝えることを決心。それが5/15でした。式は6/7ですが・・・
ところが記念写真を撮ることを家族は言い出せない・・・。
背中を押されて田村さんが説明。
式には行けたら支えるし応援するけれど結婚式の写真を先に撮れるシステムがあるから
いかがでしょうかと聞きました。
すぐに「それは、したいですね」とお父さんが応えました。
そして準備に入ります。寸秒を争う状態のお父さんでした。
3日後の5/18に病院のチャペルを使いました。
きれいな花嫁さん。ウエディングドレスが長くてステキ。
車椅子に座るのも苦痛なお父さんは意識を保つだけで精一杯だったようです。
でも穏やかに写真を撮影。
翌日から意識が低下。翌々日、亡くなりました。写真が間に合ってよかった。
「プロフェッショナルとは」
私の中のこれまでの経験に基づいてできている直感を信じてゆるがないこと。
そして相手の力をそれ以上に信じてあきらめない。
*******************
ホスピスですから最期を迎える患者さんと過ごすことになるんですね。
死と隣り合わせのようですが、前向きに生きることを友人から教わり
それから、その生き方を支える道を歩んできたという田村さんでした。
多くの患者さんが出演してくれてましたが
それぞれの人生を思って涙していた田村さんが印象的です。
最初から最後まで泣きっぱなしでした。
痛みに絶望して入院した患者さんたちも田村さんの笑顔に支えられ
最期を迎えるまでよりパワフルに生きようとする前向きさが出てきたことでしょう。
次回は プロ野球選手 宮本慎也さん 37歳
06/25/2008 おせん 第10話(最終話)
微妙な終わり方でしたねぇ・・・なんと解釈していいやら。ただおせんちゃんの着物が可愛かったから
それでいいことにする。よっちゃんとのラブは結局なかったのね。むむぅ・・・さびしぃ~でやんす。
完成までに半年はゆうにかかる最高級の鰹節「本枯節」。それを昔ながらのやり方で、手作りで作り続ける鰹節工場「ヤマジョウ」を買収し、本枯節の製造中止を画策する商事会社「エンプール」の矢田守(加藤雅也)。ヤマジョウの「作り続けたい」という思いを背負い、おせん(蒼井優)はヤマジョウの社長夫婦(夏八木勲・李麗仙)と矢田を「一升庵」で引き合わせることに。矢田の「舌の記憶」に訴えたいという。
矢田の父は、伝説の天才鰹節職人・藤坂二郎。矢田もおせんと同様、最高の「本枯節」の味で育ってきたのだ。その彼が本当に「本枯節」を失くしたいとは思えない・・・。
「エンプール」社長の金池(内藤剛志)とともに一升庵にやって来た矢田にふるまわれた料理は、鰹のたたきをのせた鰹丼。江崎(内博貴)と留吉(向井理)は土佐づくりの鰹のたたきを汗だくで焼きあげる・・・。
矢田の祖父は土佐の漁師。母親が作ってくれていた土佐醤油の味、父の本枯節の味のする出汁に驚く矢田。ヤマジョウの社長はずっと守の父である天才鰹節職人・藤坂二郎の味を目指して本枯節に心血注いでやってきた。
「二郎の本枯の味をはっきり覚えてる奴なんていないからこそ、お前に食って欲しかった」と守に語る。そして、買収されても、本枯節を少しでいいから作らせて欲しいと頼むのだった。
頑なに「無理だ」と言い張る矢田に、おせんは「味というのは、舌から舌に語り継いでいくしかできない頼りない存在」
だからこそ両親の誇りである本枯節を守ることができるのは藤坂守しかいないと訴える。
矢田は幼い頃、父親の鰹節を自慢に思っていたことを思い出す。小さくなった父の本枯節のカケラのペンダント。母に「お父ちゃんがカツブシ作れなくなったら、俺がかわりに作る。お父ちゃんの味は俺が一番よく知ってるから」と笑っていた子供時代を・・・。
矢田は金池に、必ず採算の取れる流通を考えるので本枯節の生産ラインを残して欲しいと願い出るのだった。
金池は冷たく言い放つ。「そういうことなら契約は白紙に戻します」
矢田からも、この件からも手を引くから、勝手に滅びろと・・・。
矢田はエンプールを辞め、ヤマジョウの再建に奔走しているという。一件落着したかのように思えたが、今度はおせんのもとに銀行の担当者が、一升庵への融資の引き上げと借金8000万の一括返済を求めてきた。さらに金池が『千成地区・再開発計画』の資料を手に訪れ、一升庵の買収話を持ちかける。この辺一帯にビルを建て、複合商業施設にするプランだと言う。借金を返すためにも丁度いいでしょうと笑う金池。金池が一升庵を潰すため、銀行にも手を回していたのだ。そのことを知った一升庵の面々も金池にくってかかる。
そこへ金池の秘書がやってきて、車で待っているはずの金池の息子・亮(小林廉)がいなくなったと言う。皆で一升庵の中を探し回ると、江崎が畑で大根を不思議そうに見ている亮を見つける。亮は大根が畑で育つ事や美味しさを知らないというのだ。
借金の問題、買収話・・・一升庵存続の危機の中、江崎は、「俺は船が沈むのを待つだけなんてイヤだ!」と突然店を辞め出て行ってしまう。
ぼんやりと落ち込んでいるおせんの元へ千代(由紀さおり)が現れた。「このままだと一升庵がなくなってしまう」と話すおせんを見て、千代は突然新聞紙に火をつけ「一升庵を燃やす」という。慌てて止めるおせんに千代は「こんなもんは燃えたらなくなっちまうんだよ。そりゃ、守らなきゃいけない、繋(つな)がなきゃいけない、あんたは女将だからね。でも、一升庵のもてなしも、美しさもここが燃えたらなくなるのかい?」と微笑む。
一升庵はおせんの心の中にある・・・「あんたが一升庵だ」と・・・。
おせんは「今の言葉きっちり、繋(つな)がせてもらいますから」と新たな決意を胸に抱く。
おせんは皆を集め自分の気持ちを伝える。
一升庵が無くなってしまっても、一升庵はみんなの仕事の中に、舌に生きている、と。だから今度は金池と亮を一升庵に招いて、一升庵の味をいつか思い出してもらえるようにしたいと告げる。
金池親子を招待したその日、江崎が戻ってきた。エンプール系列レストランで料理の使いまわしをしている不正の証拠をもってきたのだ。一升庵を辞めたのは潜入捜査だったという江崎は、この証拠を金池に突きつけて、一升庵の買収をあきらめさせようと提案する。しかし、不正は悪いことだがそれは出来ないというおせん。一升庵は最後まで一升庵らしくありたいと。
金池親子がやってくると、おせんは楽しく食事をしてくださいと微笑む。料理の中には亮が畑で見た大根で作ったふろふき大根も。おせんがつきっきりで煮たその大根を一口食べた亮は「味がしない」とかばんからケチャップを取り出し大根にかけてしまう。そして刺身や肉にも次々とかけていくのだった。金池は「申し訳ないが、イマドキの子なんだ。これもご時世だ」とおせんに言う。
「確かに一升庵は滅び行くものなのかもしれません」そう語りだすおせん。
でもお願いだから亮に大根の味を教えてあげて欲しい、そうしなければ一生その味を知らず過ごすことになる、そしてもちろん亮の次の世代の子供たちも・・・。
「繋(つな)ぐ・・・わっちにとってそれは次の人たちに何かを残すことです。ヤマジョウさんの本枯や、一升庵の味、職人さんの技や思い」
「金池さんが教わってきたことをどうか亮くんにも教えてあげてください。繋(つな)いであげてください」
「ケチャップがおいしかった」と笑う亮を見つめながら、金池は一升庵をあとにする。
江崎が一升庵に戻るというと、おせんは首を横にふり今の店で頑張って欲しいと告げる。一升庵で得た味や真心や知恵をその店に伝えて、不正を正してきて欲しいと。
江崎は「そういう繋(つな)ぎ方もあるんですね」と・・・。
***********
季節がかわり、一升庵の板場では皆が集まり、おせんを中心に談笑している。そこには江崎の姿も。珍品堂さん(渡辺いっけい)の姿もある。
みんな笑顔で、にぎやかな・・・いつもと変わらない一升庵がそこには、今は、まだ、ある・・・。
以上HPより引用
矢田の会社に出向くシズさん。おせんちゃんと一緒でこういう場所にあのいでたちって浮いてます(笑
一升庵では矢田のおもてなしにてんてこ舞い。活気づいています。
おぢさんがカツオを持ってきたときにお料理が見えた^^
さて、一升庵でヤマジョウ社長夫婦と向かいあう矢田とそのエンプールの社長金池@内藤剛志。
早く契約を終えたい矢田ですが、ヤマジョウ社長は食事が終わったあとの守と話したいという。
絶対に心変わりなどあらへんという矢田に出したのは、かつお丼でした。
祖父が土佐の一本釣り名人だったそうで、その郷土料理のお涙頂戴かと嫌味で言う矢田。
ぐちゃぐちゃにして食べるのだそうです。
土佐醤油もすぐにわかった矢田はさすが舌の記憶が残っています。
そして本枯の鰹節の一番だしで茶漬け。うまい!顔が美味いといってます。
父親藤坂の味がここにあると感じた矢田です。それはヤマジョウ社長の作った本枯でした。
ずっと藤坂の後を追って作り続けてきたという。「そうか・・・追いつけたか!」
いきなり座布団から降りて、土下座をし、本枯のラインを残して欲しいと頼む社長。
しかし、矢田はそんなことはできないとすぐに契約を結ぼうとする。そのいさかいでお茶をこぼします。
沈黙。
味というのは言葉で語りつくすことができないから同じものを食べて舌から舌へと受け継ぐしかない
というおせんちゃん。だから守ってほしいとい願いが「守」の字に込められているというのでした。
本枯をなくすことは誰でもできるけれど流れにさからってこの味を守るのは守さんにしかできないと
おせんちゃんの言葉にうつむいてしまう矢田。
子供の頃の回想。
父親が鰹節を作れなくなったら自分が作ると言っていました。
涙を拭って今度は矢田が自分の社長@金池に土下座します。
「生産ラインを残してください」おせんちゃんもヤマジョウの奥さんも頭をさげます。
しかし金池はこの件からも矢田からも手を引くという。競売でも破産でも好きなようにどうぞというのでした。
金池の冷たい仕打ちにみんな呆然として見ています。
しかしそれで吹っ切れたのか矢田は精力的にヤマジョウの工場が残るように奔走してるという。
舌の記憶は最後にころっと矢田を変えてしまったのでした。
しかし金池の考えは寂しいです。
やれやれと思ったら今度は一升庵は8000万の一括返済を求められてしまいます。
なぜ?毎月の返済は滞りなく行っているのに?
それはエンプール社長の仕向けた圧力でした。
千成地区の再開発事業に乗り出したエンプール。一升庵を買い取ってビルを建てるようです。
よっちゃんはあの林とまた会っています。茶節は大好評だそうですがもう一つメニューを作れという。
どうりでステーキだ(笑)しかしヤマジョウとあれほど言ったのに「ヤマチョウ」になってる。大丈夫?
生き残るためになりふり構わずという林にヤバイこともやってる?と冗談でいうとマジのようです。
これは何かあると思ったよっちゃん。
借金一括返済のことはみなに内緒だったけど、そこに金池が現れます。
夜の営業だと断ると自分が陰で動いたことをちらつかせています。ようやく合点が行ったおせんとしずさん。
千成シティウォークという再開発の企画書をだし、一升庵を買い取らせて欲しいという。
シズさんが入ってきて大声を張り上げるものだから皆に事情がわかってしまいました。
金池は一升庵の価値を認めていません。お料理も金と手間隙をかけて美味いものを作るのはそれは
当たり前のことだとニベもない。原価100円であの味をだせるなら価値を認めるというところ。
これはこれで一つの信条なんだな。この人の。でも一升庵には一升庵のよさがある。その価値を理解
できないというのは人間として寂しいとも言える。絶滅していくものはしていけばいいんだと言う。
ホッキョクグマが絶滅種だというならホッキョクグマなど要らないという金池。一同唖然。
そんなところに息子の亮君がいなくなったと秘書が言ってきます。なんで連れてくるの?学校は?
とりあえず探すという3人。おせんちゃんも一緒に探そうと皆に言っています。
そしてよっちゃんとおせんちゃんが見つけました。
大根畑の中にいました。大根も食べたことがない?唖然とするよっちゃん。
つい父親@金池に大根ぐらい食わせろといってますけど。共働きでまともな料理を作らない母親だ
そうですが息子は立派に育ってるというのでした。
ていうか、カップの味噌汁に大根はある?かっぱのなかにはきゅうり・・おせんちゃんおかしい~。
でも亮くんにおいしいご飯を作ってくれるおばあちゃんとか家政婦とかいなかったの?
みんなを前に落ち込んでいるおせんちゃんですが、外に出れば珍品堂さんたちもその再開発の
企画に飲み込まれています。なんとかしたいと思いが高じてきます。
さて、林がもういちどよっちゃんを自分の店に戻そうとしますが、なんと、かつて勤めていた店は
エンプール系列だったことを初めて知ったよっちゃん。何か浮かんだようです、すぐに一升庵を
辞めると出て行きました。詳しい事情を話さないのでおせんちゃんも複雑ですが裏切られたと
思った事は否定できません。
エンプールに行ったよっちゃんは、マネージャーみたいな雰囲気でいますが、
板場では一度客に出したものを温め直して別の客に出してることを知ります。
出ましたね、S場○兆!下座の客に出すのか!ぷぷぷ・・。
おせんちゃんは下ばかり向いてると元女将の母親がやってきますが、その落ち込みぶりもひどくて
いきなりこんなもの燃やしてしまえというのでした。紙を丸めて火をつけてびっくりなことをします。
おせんちゃんも慌てて火を消していますが、母の言いたいことは姿形はなくても、味やおもてなしの心
は連綿と受け継がれているというもの。拳をおせんちゃんの胸に押し当てて
「一升庵はここにある」というのでした。それでおせんちゃんも涙をぽろぽろ流し
「今の言葉、きっちり継がせていただきやすから」というのでした。
んん~感動のところなんですけど・・・泣くほどのシーンでもないような気がして・・ご・・ゴメン><
吹っ切れたおせんちゃんはみんなを前にそれぞれの記憶のなかに一升庵はあるというのでした。
そして最後に亮くんと金池を招いておもてなしをしようとするおせんちゃん。
そこに飛び込んできたよっちゃんは、ICレコーダーに使いまわし料理の不正を録音していました。
エンプールだから、この録音を使えば圧力を翻すことができると思ったようです。
んん~よっちゃん・・・気持ちはありがたいけど・・・
と、おせんちゃんも同じだったようで、その不正は別の場で正すとして、一升庵案は一升庵らしく
最後までありたいというのでした。
そしていよいよご招待の父と子がやってきます。
みんな腕によりを掛けて作ったもの。特に大根を食べたことのない亮くんのために何時間も煮続けた
おせんちゃん。
大根をひと口食べた亮くん・・・なんと「味がしない」とカバンからケチャップを取り出しました。
ええ~びっくり。
父親がたしなめもせずに好きなようにさせています。
お刺身にも肉にも掛けてい増す。目がぱちくりのおせんちゃん・・せっかくの御料理が・・あああ
亮くんの言い分はケチャップをかけたそれぞれの味はそれぞれ違うと言っています。
父親は今時の子だとご時世なんだと別にそれは大したことじゃないようです。
ホッキョクグマは絶滅してもかまわないと言った金池に、一升庵は滅び行くかもしれないけど
ならばお願いがあるとお父さんに頼みます。
亮君にお父さんが教わってきたことを教えてあげてほしいと。
大根の味を知ってるならどんなに忙しくても教えてあげてくれませんか?
そうでないと亮くん一生その味を知らない人間になってしまう。
次の世代の子供達もその次の子も・・・。
つなぐというのは次の人たちに何かを残すということです。
ヤマジョウさんの本枯も職人さんたちの技や思いも亮君に教えてあげてください。
そして亮くんにも「世の中には色んな味があることを知ったほうが楽しい」と言います。
黙々と食べ続ける金池。
帰りに秘書から何が美味しかったかと問われ「ケチャップ」と応える亮くん。
さすがに息子の味覚オンチは恥だと思ったかもしれません・・・。
今はマヨラーもかなり浸透してますけどね・・ケチャップは珍しいかも(笑
そこによっちゃんが一升庵に戻ると言いますがおせんちゃんは首をふります。
あのお店を不正を行わないお店にちゃんとした店にしてほしいとお願いするのでした。
そういう繋ぎ方もあるってことですね、とすぐに納得するよっちゃん。
それから時間が経ったようですが「一升庵」は今も続いていました。
いかとたこ、そばとうどん・・・どっちがいいかとわいわいやっています。
そこによっちゃんが帰ってきて話に加わりました。
****************
それにしても何にでもケチャップをかけてしまうなんて。。気持ち悪かった(笑
マヨラーは市民権を得てるところがありますけどケチャップは初耳です。
日本人がソース下手なのは醤油があるからだという意見がありますが
醤油文化はれっきとした国の誇りですからね。
さすがにあの味覚オンチはやばいですぞ。
だから金池もちょっとはモノを考える親父だったようで
一升庵を残しておいて味覚訓練に亮君を時々つれてくることにしたでやんす~
とは言ってなかったね(笑
とりあえず、金池の圧力はそこで消えたということなんでしょうね。
まずはちゃんとした飯を子供に食べさせなさいよ、お父さん!!
よっちゃんが最後に登場したのはエンプールの不正を正して、帰ってきたということですかね?
それともただ遊びにきただけ?
ふたりのほのぼのしたやりとりがふわっとして楽しかったですね。
おせんちゃんの着物とともにその穏やかさがのんびりと漂ったドラマでした。
それとゲストがやたら豪華だったのも印象に残ってます^^
完成までに半年はゆうにかかる最高級の鰹節「本枯節」。それを昔ながらのやり方で、手作りで作り続ける鰹節工場「ヤマジョウ」を買収し、本枯節の製造中止を画策する商事会社「エンプール」の矢田守(加藤雅也)。ヤマジョウの「作り続けたい」という思いを背負い、おせん(蒼井優)はヤマジョウの社長夫婦(夏八木勲・李麗仙)と矢田を「一升庵」で引き合わせることに。矢田の「舌の記憶」に訴えたいという。
矢田の父は、伝説の天才鰹節職人・藤坂二郎。矢田もおせんと同様、最高の「本枯節」の味で育ってきたのだ。その彼が本当に「本枯節」を失くしたいとは思えない・・・。
「エンプール」社長の金池(内藤剛志)とともに一升庵にやって来た矢田にふるまわれた料理は、鰹のたたきをのせた鰹丼。江崎(内博貴)と留吉(向井理)は土佐づくりの鰹のたたきを汗だくで焼きあげる・・・。
矢田の祖父は土佐の漁師。母親が作ってくれていた土佐醤油の味、父の本枯節の味のする出汁に驚く矢田。ヤマジョウの社長はずっと守の父である天才鰹節職人・藤坂二郎の味を目指して本枯節に心血注いでやってきた。
「二郎の本枯の味をはっきり覚えてる奴なんていないからこそ、お前に食って欲しかった」と守に語る。そして、買収されても、本枯節を少しでいいから作らせて欲しいと頼むのだった。
頑なに「無理だ」と言い張る矢田に、おせんは「味というのは、舌から舌に語り継いでいくしかできない頼りない存在」
だからこそ両親の誇りである本枯節を守ることができるのは藤坂守しかいないと訴える。
矢田は幼い頃、父親の鰹節を自慢に思っていたことを思い出す。小さくなった父の本枯節のカケラのペンダント。母に「お父ちゃんがカツブシ作れなくなったら、俺がかわりに作る。お父ちゃんの味は俺が一番よく知ってるから」と笑っていた子供時代を・・・。
矢田は金池に、必ず採算の取れる流通を考えるので本枯節の生産ラインを残して欲しいと願い出るのだった。
金池は冷たく言い放つ。「そういうことなら契約は白紙に戻します」
矢田からも、この件からも手を引くから、勝手に滅びろと・・・。
矢田はエンプールを辞め、ヤマジョウの再建に奔走しているという。一件落着したかのように思えたが、今度はおせんのもとに銀行の担当者が、一升庵への融資の引き上げと借金8000万の一括返済を求めてきた。さらに金池が『千成地区・再開発計画』の資料を手に訪れ、一升庵の買収話を持ちかける。この辺一帯にビルを建て、複合商業施設にするプランだと言う。借金を返すためにも丁度いいでしょうと笑う金池。金池が一升庵を潰すため、銀行にも手を回していたのだ。そのことを知った一升庵の面々も金池にくってかかる。
そこへ金池の秘書がやってきて、車で待っているはずの金池の息子・亮(小林廉)がいなくなったと言う。皆で一升庵の中を探し回ると、江崎が畑で大根を不思議そうに見ている亮を見つける。亮は大根が畑で育つ事や美味しさを知らないというのだ。
借金の問題、買収話・・・一升庵存続の危機の中、江崎は、「俺は船が沈むのを待つだけなんてイヤだ!」と突然店を辞め出て行ってしまう。
ぼんやりと落ち込んでいるおせんの元へ千代(由紀さおり)が現れた。「このままだと一升庵がなくなってしまう」と話すおせんを見て、千代は突然新聞紙に火をつけ「一升庵を燃やす」という。慌てて止めるおせんに千代は「こんなもんは燃えたらなくなっちまうんだよ。そりゃ、守らなきゃいけない、繋(つな)がなきゃいけない、あんたは女将だからね。でも、一升庵のもてなしも、美しさもここが燃えたらなくなるのかい?」と微笑む。
一升庵はおせんの心の中にある・・・「あんたが一升庵だ」と・・・。
おせんは「今の言葉きっちり、繋(つな)がせてもらいますから」と新たな決意を胸に抱く。
おせんは皆を集め自分の気持ちを伝える。
一升庵が無くなってしまっても、一升庵はみんなの仕事の中に、舌に生きている、と。だから今度は金池と亮を一升庵に招いて、一升庵の味をいつか思い出してもらえるようにしたいと告げる。
金池親子を招待したその日、江崎が戻ってきた。エンプール系列レストランで料理の使いまわしをしている不正の証拠をもってきたのだ。一升庵を辞めたのは潜入捜査だったという江崎は、この証拠を金池に突きつけて、一升庵の買収をあきらめさせようと提案する。しかし、不正は悪いことだがそれは出来ないというおせん。一升庵は最後まで一升庵らしくありたいと。
金池親子がやってくると、おせんは楽しく食事をしてくださいと微笑む。料理の中には亮が畑で見た大根で作ったふろふき大根も。おせんがつきっきりで煮たその大根を一口食べた亮は「味がしない」とかばんからケチャップを取り出し大根にかけてしまう。そして刺身や肉にも次々とかけていくのだった。金池は「申し訳ないが、イマドキの子なんだ。これもご時世だ」とおせんに言う。
「確かに一升庵は滅び行くものなのかもしれません」そう語りだすおせん。
でもお願いだから亮に大根の味を教えてあげて欲しい、そうしなければ一生その味を知らず過ごすことになる、そしてもちろん亮の次の世代の子供たちも・・・。
「繋(つな)ぐ・・・わっちにとってそれは次の人たちに何かを残すことです。ヤマジョウさんの本枯や、一升庵の味、職人さんの技や思い」
「金池さんが教わってきたことをどうか亮くんにも教えてあげてください。繋(つな)いであげてください」
「ケチャップがおいしかった」と笑う亮を見つめながら、金池は一升庵をあとにする。
江崎が一升庵に戻るというと、おせんは首を横にふり今の店で頑張って欲しいと告げる。一升庵で得た味や真心や知恵をその店に伝えて、不正を正してきて欲しいと。
江崎は「そういう繋(つな)ぎ方もあるんですね」と・・・。
***********
季節がかわり、一升庵の板場では皆が集まり、おせんを中心に談笑している。そこには江崎の姿も。珍品堂さん(渡辺いっけい)の姿もある。
みんな笑顔で、にぎやかな・・・いつもと変わらない一升庵がそこには、今は、まだ、ある・・・。
以上HPより引用
矢田の会社に出向くシズさん。おせんちゃんと一緒でこういう場所にあのいでたちって浮いてます(笑
一升庵では矢田のおもてなしにてんてこ舞い。活気づいています。
おぢさんがカツオを持ってきたときにお料理が見えた^^
さて、一升庵でヤマジョウ社長夫婦と向かいあう矢田とそのエンプールの社長金池@内藤剛志。
早く契約を終えたい矢田ですが、ヤマジョウ社長は食事が終わったあとの守と話したいという。
絶対に心変わりなどあらへんという矢田に出したのは、かつお丼でした。
祖父が土佐の一本釣り名人だったそうで、その郷土料理のお涙頂戴かと嫌味で言う矢田。
ぐちゃぐちゃにして食べるのだそうです。
土佐醤油もすぐにわかった矢田はさすが舌の記憶が残っています。
そして本枯の鰹節の一番だしで茶漬け。うまい!顔が美味いといってます。
父親藤坂の味がここにあると感じた矢田です。それはヤマジョウ社長の作った本枯でした。
ずっと藤坂の後を追って作り続けてきたという。「そうか・・・追いつけたか!」
いきなり座布団から降りて、土下座をし、本枯のラインを残して欲しいと頼む社長。
しかし、矢田はそんなことはできないとすぐに契約を結ぼうとする。そのいさかいでお茶をこぼします。
沈黙。
味というのは言葉で語りつくすことができないから同じものを食べて舌から舌へと受け継ぐしかない
というおせんちゃん。だから守ってほしいとい願いが「守」の字に込められているというのでした。
本枯をなくすことは誰でもできるけれど流れにさからってこの味を守るのは守さんにしかできないと
おせんちゃんの言葉にうつむいてしまう矢田。
子供の頃の回想。
父親が鰹節を作れなくなったら自分が作ると言っていました。
涙を拭って今度は矢田が自分の社長@金池に土下座します。
「生産ラインを残してください」おせんちゃんもヤマジョウの奥さんも頭をさげます。
しかし金池はこの件からも矢田からも手を引くという。競売でも破産でも好きなようにどうぞというのでした。
金池の冷たい仕打ちにみんな呆然として見ています。
しかしそれで吹っ切れたのか矢田は精力的にヤマジョウの工場が残るように奔走してるという。
舌の記憶は最後にころっと矢田を変えてしまったのでした。
しかし金池の考えは寂しいです。
やれやれと思ったら今度は一升庵は8000万の一括返済を求められてしまいます。
なぜ?毎月の返済は滞りなく行っているのに?
それはエンプール社長の仕向けた圧力でした。
千成地区の再開発事業に乗り出したエンプール。一升庵を買い取ってビルを建てるようです。
よっちゃんはあの林とまた会っています。茶節は大好評だそうですがもう一つメニューを作れという。
どうりでステーキだ(笑)しかしヤマジョウとあれほど言ったのに「ヤマチョウ」になってる。大丈夫?
生き残るためになりふり構わずという林にヤバイこともやってる?と冗談でいうとマジのようです。
これは何かあると思ったよっちゃん。
借金一括返済のことはみなに内緒だったけど、そこに金池が現れます。
夜の営業だと断ると自分が陰で動いたことをちらつかせています。ようやく合点が行ったおせんとしずさん。
千成シティウォークという再開発の企画書をだし、一升庵を買い取らせて欲しいという。
シズさんが入ってきて大声を張り上げるものだから皆に事情がわかってしまいました。
金池は一升庵の価値を認めていません。お料理も金と手間隙をかけて美味いものを作るのはそれは
当たり前のことだとニベもない。原価100円であの味をだせるなら価値を認めるというところ。
これはこれで一つの信条なんだな。この人の。でも一升庵には一升庵のよさがある。その価値を理解
できないというのは人間として寂しいとも言える。絶滅していくものはしていけばいいんだと言う。
ホッキョクグマが絶滅種だというならホッキョクグマなど要らないという金池。一同唖然。
そんなところに息子の亮君がいなくなったと秘書が言ってきます。なんで連れてくるの?学校は?
とりあえず探すという3人。おせんちゃんも一緒に探そうと皆に言っています。
そしてよっちゃんとおせんちゃんが見つけました。
大根畑の中にいました。大根も食べたことがない?唖然とするよっちゃん。
つい父親@金池に大根ぐらい食わせろといってますけど。共働きでまともな料理を作らない母親だ
そうですが息子は立派に育ってるというのでした。
ていうか、カップの味噌汁に大根はある?かっぱのなかにはきゅうり・・おせんちゃんおかしい~。
でも亮くんにおいしいご飯を作ってくれるおばあちゃんとか家政婦とかいなかったの?
みんなを前に落ち込んでいるおせんちゃんですが、外に出れば珍品堂さんたちもその再開発の
企画に飲み込まれています。なんとかしたいと思いが高じてきます。
さて、林がもういちどよっちゃんを自分の店に戻そうとしますが、なんと、かつて勤めていた店は
エンプール系列だったことを初めて知ったよっちゃん。何か浮かんだようです、すぐに一升庵を
辞めると出て行きました。詳しい事情を話さないのでおせんちゃんも複雑ですが裏切られたと
思った事は否定できません。
エンプールに行ったよっちゃんは、マネージャーみたいな雰囲気でいますが、
板場では一度客に出したものを温め直して別の客に出してることを知ります。
出ましたね、S場○兆!下座の客に出すのか!ぷぷぷ・・。
おせんちゃんは下ばかり向いてると元女将の母親がやってきますが、その落ち込みぶりもひどくて
いきなりこんなもの燃やしてしまえというのでした。紙を丸めて火をつけてびっくりなことをします。
おせんちゃんも慌てて火を消していますが、母の言いたいことは姿形はなくても、味やおもてなしの心
は連綿と受け継がれているというもの。拳をおせんちゃんの胸に押し当てて
「一升庵はここにある」というのでした。それでおせんちゃんも涙をぽろぽろ流し
「今の言葉、きっちり継がせていただきやすから」というのでした。
んん~感動のところなんですけど・・・泣くほどのシーンでもないような気がして・・ご・・ゴメン><
吹っ切れたおせんちゃんはみんなを前にそれぞれの記憶のなかに一升庵はあるというのでした。
そして最後に亮くんと金池を招いておもてなしをしようとするおせんちゃん。
そこに飛び込んできたよっちゃんは、ICレコーダーに使いまわし料理の不正を録音していました。
エンプールだから、この録音を使えば圧力を翻すことができると思ったようです。
んん~よっちゃん・・・気持ちはありがたいけど・・・
と、おせんちゃんも同じだったようで、その不正は別の場で正すとして、一升庵案は一升庵らしく
最後までありたいというのでした。
そしていよいよご招待の父と子がやってきます。
みんな腕によりを掛けて作ったもの。特に大根を食べたことのない亮くんのために何時間も煮続けた
おせんちゃん。
大根をひと口食べた亮くん・・・なんと「味がしない」とカバンからケチャップを取り出しました。
ええ~びっくり。
父親がたしなめもせずに好きなようにさせています。
お刺身にも肉にも掛けてい増す。目がぱちくりのおせんちゃん・・せっかくの御料理が・・あああ
亮くんの言い分はケチャップをかけたそれぞれの味はそれぞれ違うと言っています。
父親は今時の子だとご時世なんだと別にそれは大したことじゃないようです。
ホッキョクグマは絶滅してもかまわないと言った金池に、一升庵は滅び行くかもしれないけど
ならばお願いがあるとお父さんに頼みます。
亮君にお父さんが教わってきたことを教えてあげてほしいと。
大根の味を知ってるならどんなに忙しくても教えてあげてくれませんか?
そうでないと亮くん一生その味を知らない人間になってしまう。
次の世代の子供達もその次の子も・・・。
つなぐというのは次の人たちに何かを残すということです。
ヤマジョウさんの本枯も職人さんたちの技や思いも亮君に教えてあげてください。
そして亮くんにも「世の中には色んな味があることを知ったほうが楽しい」と言います。
黙々と食べ続ける金池。
帰りに秘書から何が美味しかったかと問われ「ケチャップ」と応える亮くん。
さすがに息子の味覚オンチは恥だと思ったかもしれません・・・。
今はマヨラーもかなり浸透してますけどね・・ケチャップは珍しいかも(笑
そこによっちゃんが一升庵に戻ると言いますがおせんちゃんは首をふります。
あのお店を不正を行わないお店にちゃんとした店にしてほしいとお願いするのでした。
そういう繋ぎ方もあるってことですね、とすぐに納得するよっちゃん。
それから時間が経ったようですが「一升庵」は今も続いていました。
いかとたこ、そばとうどん・・・どっちがいいかとわいわいやっています。
そこによっちゃんが帰ってきて話に加わりました。
****************
それにしても何にでもケチャップをかけてしまうなんて。。気持ち悪かった(笑
マヨラーは市民権を得てるところがありますけどケチャップは初耳です。
日本人がソース下手なのは醤油があるからだという意見がありますが
醤油文化はれっきとした国の誇りですからね。
さすがにあの味覚オンチはやばいですぞ。
だから金池もちょっとはモノを考える親父だったようで
一升庵を残しておいて味覚訓練に亮君を時々つれてくることにしたでやんす~
とは言ってなかったね(笑
とりあえず、金池の圧力はそこで消えたということなんでしょうね。
まずはちゃんとした飯を子供に食べさせなさいよ、お父さん!!
よっちゃんが最後に登場したのはエンプールの不正を正して、帰ってきたということですかね?
それともただ遊びにきただけ?
ふたりのほのぼのしたやりとりがふわっとして楽しかったですね。
おせんちゃんの着物とともにその穏やかさがのんびりと漂ったドラマでした。
それとゲストがやたら豪華だったのも印象に残ってます^^
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