一通り読んでみたらあの頃の情熱を感じましたわ。


午後は聖光学院の試合もあり(甲子園)どっちも「フクシマ」応援の意味合いのようですが

上手に振り分けてご覧になってくださいね~。

以下、過去レビューのコピーです。


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戦争の愚かさ。

洗脳の恐ろしさ。

                         

「先生、我々白虎隊はいつ出陣させていただけるのでしょうか?」

「二本松少年軍は12歳からの少年たちが出陣に供えていると聞きます」

少年達は世の動きを察知しては心急くものがあるようです。

せっかく白虎隊が組まれたというのに・・早く役に立ちたい・・それだけの思い。

少年達には実戦の経験がないだけに出陣を憧れにして増大させていたのでしょう。

しかしまあ待てという声。

掃除をしながら儀三郎を冷やかす学友たち。

さて実際、小夜子の砲術訓練は兄は捕らわれ実質3人の女性に教わるのみとなって

いました。小夜子は儀三郎に的に当たるようになったと声をかけています。

声をかけられない峰冶と又八・・まあひがむな^^

「そんなもんなんじゃ・・(笑)」

しかし、外では女子と話してはならぬ。ならぬことはならぬの掟も滑稽だったり。



会津、奥羽羽越の同盟軍は長州や薩摩を相手に激しい戦いを展開していました。

敵軍の参謀は板垣退助や伊地知正治ら。手ごわい相手な上に最新兵器。

同盟軍は苦戦と敗退を繰り返してきています。

戦局を見るにつけ頼母は何度も降伏の進言を出してきました。

しかし白河口の戦いの劣勢が指揮官としての過ちだという前に無策を省みるべきだ

という容保。それでも平に平に降伏をと請う頼母だけが会津のなかではまともな

神経だったのかもしれません。しかし、既に時は二進も三進も行かない状態。

会津は破滅へとひた走るしかありませんでした。


白虎隊の初出陣。戦ではなく激励でしたが初めて泊りがけで出陣した少年達。

峰冶の肩を叩いた容保。その肩を少年達は触りにくるようでした。こんな他愛も

ないことがこの子達にとっての青春。残り時間はわずかです。


会津を取り巻く情勢は劣化のみ。新潟港も押さえられ武器の入手困難となり長岡も

すでに崩落。鶴ケ城を死守するというただその大儀のために動いてる現在。

日新館はすでに学び舎ではなく病院と化していました。

けが人の手当てをする峰冶たちは世の情勢を憂い、二本松の少年達にまで思いを

馳せ自分らの思慮の浅さを思い知ります。そこに峰冶は「建議書」を提出することで

実戦に参加できると案を出すのです。



そのころ土佐藩の板垣退助らは会津の攻め方を模索。これから長い冬がやって

くる。会津は雪にうずもれる豪雪地帯。雪の経験のない長州薩摩・・無論、この季節

は避けるしかないことを感じています。なんとしても冬が来る前に安達太良山の母成

峠を攻め落とす。これが合言葉のように交わされました。

1868年8/21新暦でいうなら10月初旬。冬が来る前に。母成峠を徹底的に攻撃。

大砲の威力の違いが決定的に会津の打撃となりました。撤退するのみの会津軍。

知らせを聞いた容保は十六橋を壊し会津に入ることのできないようにと厳命。

同じように薩長軍も十六橋を手に入れることが勝敗を分けると察知。

そのころ容保のもとに謹慎を解かれた頼母が表れさらに降伏をと進言します。

もはや玄武隊と少年兵千人程度しか残っていない城下には大砲の威力の凄まじさ

とは闘えないことを伝えます。そこに家臣の白虎隊出陣を要請する声が・・。

さすがに容保も躊躇しています。何もあの・・少年たちまで・・・しかし躊躇うなという

声がさらに後押しするのです・・白虎隊・・余とともに出陣じゃ。

頼母の止める声だけが虚しく響くのでした。

   女子供を殺してはなりませぬ。

   若者を殺してはなりませぬ。



さて、既に出陣命令は廻り、峰冶は家族に正座して挨拶の時です。

卑怯なことをする峰冶ではないことを知っておるが捕らわれて家名を汚すことの

ないようにと祖母。酒井家の名を背負って闘ってくれと兄。

道義正義忠義、それらに比べれば命は軽い。と母。

命は惜しみませんと短刀を取り出しひと房の髪を切りました。遺髪だと。

母の渡した金子は埋葬代・・死体にお金があれば誰かが埋葬してくれるという考え。

驚いてしまいました。いざという時とはそういう時なのですか・・。


頼母の妻を伯母とする貞吉の挨拶に伯母@浅野も泣かされています。まだ17歳。

若いのに戦局に立たされるという意味がわかっていないのがさらに不憫です。

頼母が腰抜けといわれるために迷惑をかけたというのがさらに汚名返上のハッパと

なっての激励です。


♪ゆっくりおやすみ義三郎、めんめが覚めたらダンゴをあげよ♪

めん目を覚ましたまま帰っておいで。団子を作って待っているから。

儀三郎の母、しん子は自分に正直。どこの家でも立派に死ぬことを教えているのに

生きて帰ってほしいと素直に言い出せる母です。いざという時の金子は埋葬代なん

かじゃない、薬や食料だと言うのでした。抱きつき泣く母に・・・号泣


小夜子が峰冶に起き上がり小法師を儀三郎にと託しました。


出陣は雨の中。目が合いそうになった峰冶の母は深く首をたれ、儀三郎の母は待っ

ていると声をかけています。対照的な二人。雨にぬれ「エイエイオー」の掛け声。


いよいよ戦いが始まりました。懸念の橋は既に敵軍が渡りきったようで城下に入ら

られた様子。白虎隊の肩に会津の命運がかかっているのだと聞く少年達。

しかし、いざ銃撃が始まってみると大砲の威力とは天地ほどの差があることを痛感。

そして刀での応戦。実戦で相手軍と戦うなんて初めの少年達。雨に動きを止められ

戦局の不利はいかばかりか。


病床のしげは峰冶の育て方を間違っていたかと後悔しています。立派に死ねといわ

れるより、母は待っていると言われた方が幸せだったかもしれない・・。


白虎隊を二分して行動することになり峰冶は小夜子から預かった起き上がり小法師

を儀三郎に渡そうとしましたが合流する時にということで峰冶が持ったままになって

いました。これが三人の会う最後とはそのときは知る由もなく。


それぞれが雨の中、野営するという。峰冶の班はそのまま食べたいものを言い出し

話をしながら夜を明かしたが、儀三郎の班は日向が食料を貰いに行くと出たまま戻

ってこない。夜が明けたら義三郎が陣頭を取るということで班は了解していました。

そして再びの対戦。すさまじい大雨の視界の悪さと足元の重さと。撃った少年をさら

にだめ出しで撃つ敵軍。峰冶も肩を撃たれ、ぬかるみに足をとられわらじの紐を直し

てる間に仲間とはぐれてしまいました。


やっとこ城に逃げた容保の前に頼母が座り込み今度こそ降伏をと直訴。もう玉砕覚

悟で籠城するか今、戦いを終結させるか。どちらにしろ殿と自分たちは切腹である。

それでもこれ以上死者を増やしてはなりませぬ。この頼母だけが人々の安寧を心か

ら願った忠臣だと言うのに誰一人耳を貸しません・・容保は無視して通りすぎました。

敵陣に迫られ家老二人は自刃しました。


頼母の家では妻千恵子が西郷家に着せられた汚名を払すためにも立派に死んで

いくことだと諭し、全員白装束になり正座した状態で自らの首に刃を当てました。

薩長軍が屋敷の凄惨さを見て驚くが、虫の息のひとりに介錯したのは憐憫か・・


儀三郎の班は農民の姿になり様子を見るという案が出されたが武士の誇りを捨てる

ことはできないということでそのまま進むことになりました。


峰冶は雨の中倒れ、もはやこれまでと覚悟を決めました。

  父上・・母上・・峰冶は何の働きもできませんでした。

  恥じております。このままでは敵にやられるでしょう。

  せめて自ら立派に死にます。

  父上・・母上・・兄上・・お祖母さま・・

  何の手柄も立てられなかった峰冶をお許しください。

決心し、腹に突き刺そうとした瞬間、クマが走ってきました。刀を払うのです。

そしてその時、起き上がり小法師が落ちてきました。雨の中倒れても起き上がる姿。

この姿に勇気を貰った峰冶は生きる勇気がわいてきました。ふと行くとそこには又吉

が倒れています。又吉を「生きよう」と力付ける峰冶。峰冶は変わりましたね。

クマの先導で知っているお百姓さんの家に辿りつきました。食料にありつき休養を

とってこそ人間らしい発想がわいてくるのもの。峰冶は生きてこそ誇りが保たれると

いう究極の考えに移りました。お百姓の姿で会津に戻る。姿を変えても誇りは捨てな

い。生きて城に戻るためには姿を変えるしかないだろう・・・。

助けてくれたお百姓さんも決して死に急がないようにとごく普通の人間らしい言葉を

かけています。これが武士の家だったら・・・。又八は落ち合う場所を決めているとい

い、峰冶と分かれました。峰冶はひとり会津に戻っていくことになります。


儀三郎たちは分かれた班と合流できたのですが峰冶と又八がはぐれた事を聞き

憮然としています。そこに再び攻撃。子供だけの隊に相手は膨大な戦力を投下し

儀三郎たちも逃げるのがやっと。城に向かうためには洞窟しか残されてない。胸まで

つかるような水の中を泳ぐように渡ってきた義三郎たちは飯盛山に着きました。

しかしそこから見た城下。それは城が燃えていたのです。実は城ではなく町が燃えて

いたのですが煙のせいなのか城が燃えてるように見えたのです。絶望だけが彼らを

覆うとき。もう生きていくよすがは何もなかったのでしょうか。

  今こそ腹を斬るときだ。城が焼かれれば殿も親兄弟も腹を切ったであろう。

皆、正座し一礼。刃を腹に押し当てるもの、首にするもの。一斉に事切れていきまし

た。そこには19人の遺体が。まだ17歳という少年たちが死んでいったのです。


女子も2日間、果敢に戦っています。小夜子も母も皆一緒に勇敢に。しかし小夜子は

飛んできた銃弾に額を打ち抜かれてしまいました。敵に首を渡すものか。母の執念

が小夜子の首を落としたとき、起き上がり小法師が落ちました。それを拾う母。


城の中は炊き出しやけが人の手当てでごった返しています。そこに峰冶が帰ってくる

のです。百姓の姿をしていたためか敵にも狙われず無事に帰りつきました。

嵐の中、皆とはぐれこのように生きて戻ってまいりました。お許しください。

跪く峰冶をなでさすりよく頑張って戻ってきた・・生きて母のもとに・・・。

周りの母たちが自分の息子はと探しに行ったのが辛いではないですか。

峰冶は死に値する働きができなかったから生きて、生きることに値する働きを

すると言うのです。しげが今度こそ本心から息子を抱きしめるのには・・貰い泣き


こんなところに他のチームが戻ってきたのですが白虎隊ではありません。母達は

息子たちが戻ったら城で働いてもらうといいますがそこに日向隊長が戻ってきました

嵐の中少年達をおいて食料を貰いに行き迷ってしまったという。峰冶の腹立ちは

収まりようもなく日向をなじります。初めての戦で動き方も知らない義三郎たちが

どれほど心細かったか。嵐の寒さとひもじさを経験した峰冶の言葉には説得力も

あります。無言の隊長。自分の判断の甘さを恥じてか。


頼母は容保に城の外に追い出されました。家臣たちが暗殺しようとしているので事

実上の温情だとのこと。しかし頼母は函館に向かい函館戦争に加わったそうです。


そこに白虎隊自刃の知らせが入ってきました。

飯盛山で19人。立派な最後であったそうだ。

篠田儀三郎・・・次々と名を呼ばれ母が写されるシーンには涙・・涙・・

息子が死んで嬉しいはずがありません。立派な死よりも生きていたほうがいい・・。

起き上がり小法師を渡せなかったからだと自分を責める峰冶に峰冶のせいでは

ないと慰める母。その夜、灯篭流しが行われました。敵軍もこの日は静かに霊を

送ってくれたということです。


米沢、仙台藩は降伏。とうとう会津は孤立してしまいました。


城への攻撃は再び激しくなりました。姫も自分の着物を怪我人に使い、部屋も提供

しています。そんな中、しげが倒れてしまいます。虫の息のしげに峰冶は次もその次

も母上の息子として生まれとうございます、約束してくれと手を握るのです。

母が息を引き取った後、祖母がもみじをだし峰冶が背負ってくれたあの日のことを

話して聞かせます。肌身離さず持っていたこと。冷たくしていたのはあまりにもかわ

いがりすぎると情がわいてもしも死なれたあとが辛くなるからだというのです。

ただただ・・泣きじゃくる峰冶。よかったなあ・・峰冶より先に死ぬ事ができて。


峰冶に子供が抱きついてきました。母が死んだというのです。抱きしめながら峰冶

は子供に優しく諭しています。自分も今母が死んでしまった。殿のため会津のために

白虎隊士も死んでしまった。だから親が死んだくらいではへこたれてはならないのだ

その様子を見ていた容保。いつか自分が激励した少年。思うことがありました。



降伏するという容保に家臣団はまだ戦うというのですが・・それでも自分のために

よく闘ってくれたと自分だけは降伏するとその志を曲げませんでした。

もっと早く気付けばいいものを。。

しかし、京都守護職を引き受けたことの結果がこれなのですから・・理不尽さを

思う事は誰もが同じでしょうか。美しい青い空を見ながら。

人の嫌がる仕事を誠心誠意行っても痛い目にあう。

だけど裏切ったやつがいつまでもいい目を見るとも限らないのです。

降伏とでかでかと掲げられた白い旗。

家臣たちはボロボロと涙を流し、容保は書状を懐から出しました。


非毛氈は流血氈と言われ会津の血を吸い込んだもの。これをそれぞれが切り裂き

手にしました。そろって涙し悔しさを分かちます。

  俺は忘れない。後の世まで語り継ぐ。


そして現代にもどった新太郎と雄介。

こんなに早く死んで何のために生まれてきたんだと思うよな・・・

でもこうやってよく生き死んでいったことをお前らに伝えられれば

それだけで生まれた意味があったんだよ。

墓におまいりし厳かな気持ちを持ったまま東京に戻った新太郎は

いつもと態度が違うようです。

挨拶ができるようになったといわれていましたね^^

いつまで続くか分からないけど・・とは本人の弁。

しかし、感じるものがあったのはいいことですね。

そんな新太郎にワインを開ける現代の甘い酒井家。

*****

                

涙・・涙・・で放心してしまうくらいでした。

生きるという意味を深く問われた5時間。

母達の哀しいほどの愛。

命は地球よりも重いと教えられてる現在、

この時代は忠義正義の方が命より重いというのがなんとも虚しいです。

今現在でも会津と薩長の間は不仲だと聞きました。

こういう歴史は後をひくものですね。

頼母のような先の見通しをしっかり持った者がいながら

生かせなかったのが非常に残念です。


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