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7割の賭けに出て負けた!「治る」とは言わなかった祐太ですがこの悔しさ哀しさをどうしたらいい?
今週のすずちゃんの手話表現ですが

たった一つだけですけど、訳を見ないでわかった単語がありました。

それは「意見」という単語。

これは指文字の「い」です。

小指をピンと立てる女性をあらわすあの仕草ですが

指文字では「い」で、語源はアルファベットの「i」(形がにているから)から来ています。

指文字は新しい手話表現なのですがアルファベットを

模したような形にする場合も多いのです。

例えば「ま」は「M」から、

「な」は「N」から。

で、この指文字の「い」の小指を額ぐらいの位置から前にはじくような表現です。

これが「意見」という単語です。

「い」を頭からはじき出すような表現が「意見」なのよ。

なんかちゃんと意味が込められてると思いません?

そういえばすずちゃんは子供たちに手話を教えてましたね。

あんな風に自然に覚えられたらいいですよね。

ほとんどの人は若いうちは手話は無関係なわけですが

老人になったとき8割ぐらいの人は必要になるんでは^^;

子供のうちに覚えていたらだいぶ違うのではと思いますけどね。



*****

さて、今週は末期すい臓がん患者(@木島)がモデルケースとしてでました。

すい臓のガンって早期発見が難しくて気づいたときは末期とよく言われますよね。

あの衰弱の仕方とか痛みの激しい様子とか

本当に恐怖でした・・・。

そして打つ手がなくなり、余命半年ということで緩和ケアの病院への転院を勧められるのでした。



そこにいつもの祐太が暗躍するわけです。

なんとかしたいと患者を思う気持ちはりっぱですが・・。

そしてついに海外の新薬を発見し、カンファレンスで発言するのでした。


日本では認可されてない上に2病院しか扱っていないその薬は

7:3で可能性としては7割の縮小があったという。

大半の医師たちは大きな賭けにしり込みする数字のようですが

松平院長は患者の判断に委ねるということで丸投げしてきました。

後にわかりましたが懐が大きいのではなくて

単に祐太に経験を積ませるという程度の考えだったようです。

今回のこの場合はコトバは悪いが他の医師がいう

「死にかけの患者を使った人体実験」にほかなりません。


10人中7名の人は投与後にガンの縮小が見られたという説明だけでいいのか疑問ですが、

残り3名は5日~3週間で死亡という結果は提示していました。


患者の木島さんの判断は「治る」という祐太の言葉があれば挑戦するというもの。

そのコトバの重みを知る祐太は言えない様子でした。

直後に職場復帰したいすずから「大丈夫」というコトバのお守りが欲しいと言われ

意を決して木島の病室に入り込んだのでした。


そして投薬することになり腫瘍は縮小。

懸命な介護をしていた祐太が成功の喜びを胸に一時帰宅したときに

木島は肺からの出血で死亡してしまうのでした。


この肺出血は薬の副作用だったのかどうか何も言ってなかったのですが

投与がなかったら何事もなかったのかどうかとも言い切れません。

何しろ末期すい臓ですから何があってもおかしくないですし

腫瘍自体は縮小したという結果は出てるのですから。


でも、投与する患者のタイプとか、亡くなった患者のタイプや症例なども

もっと統計をとってサンプルを集めるべきでしたよね。

縮小した患者のデータと木島のデータが似ているところがあるとか

トライしてみる価値を見出せたかもしれないですし、

またどんな人が亡くなってるのか、こちらもよく吟味していたら、無理に投薬しなかったかも?

ただ数字の7割に賭けるだけでは医者としては山師ですよね・・。



ただ、木島さんは遺書にまで祐太には感謝していると残してくれたのが救われました。

祐太は「治る」という言葉を木島さんにあげてなかったそうです。

医者としてそれは言ってはならない鉄則のようですが

祐太は逆に「治る」という「お守り」を上げればよかったと後悔して泣くのでした。



一方、沢村(水川)は13歳で肺ガンで母親をなくしています。

その時の医者が軽い医者で簡単な触診だけで「大丈夫」を繰り返したらしいです。

なんで医者ともあろうものがレントゲンのひとつも撮らないのか疑問ですが

肺は定期健康診断で発見されやすいのではないですか?

主治医の言葉だけじゃなくて

健診も他の医者に見てもらうのもひとつの鍵だったのではと残念です。

これによって沢村は医者の「大丈夫・治る」という言葉が相当憎くなったようです。



*****


今週はまさに人体実験でしたね・・。

それをさせたのはまぎれもなく院長の松平。


病院のルール無視だったり、協調性ゼロだったりですが、

祐太は患者思いで情熱があるんですね。

しかしそれを生かす方法がまだわかってないわけで

その良い芽を上手に伸ばす指導医がいないのがこの病院の残念なところ。


嫌な言い方だけどこうやって患者を見送って経験を積むのが研修医なんでしょうか・・。

でも祐太がそんなにたくさん見送ったら祐太自身の神経を病みそうな気がするこの頃。



もしも、私が末期患者であれば今更延命などしなくていいような気がするし、

新薬なんて拒否しちゃって、

ホスピスで手厚く介護してもらい、

できれだけ苦痛のない状態でアチラ側に渡っていくことを希望する・・かな・・?



(37歳で医者になった僕 第3話)




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