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生み出す力というか創造と想像は苦しい作業だとつくづく思います。その苦しさを乗り越えた監督。
原点は母への思慕でしょうか。


7/19。4年の歳月を掛けた新作の初日。日比谷の映画館。

「崖の上のポニョ」

5歳の少年宗介と魚の子、ポニョが出会い、始まるファンタジー。

監督の最後の長編という作品。カメラは300日間、宮崎を追った。


「宮崎駿のすべて。ポニョ密着300日」


東京郊外にある宮崎のアトリエ。10時過ぎに出勤。コーヒーを飲み、スタジオに向かう。

・・・宗介を好きになったポニョが人間に姿を変えて大津波にのってやってくる・・・

手作業でカットを描く。色彩などのスタッフは350人。

宮崎は絵コンテ(キャラの動き、セリフ)を書き、アニメーターに指示出し。

独特の言葉で自分のイメージを伝える宮崎。その仕事の流儀は、

「映画の奴隷になる」

スタッフ全員に映画に持てる全てを捧げることを求めた。

ベテランアニメーターが描いた絵を否定して描き直しています。

ほんの一瞬に登場する鳥でさえもその絵で飛ぶかどうかが見分けられる。

細かい部分にも魂をこめて描いてほしいという要求がスタッフに出されています。

かなり厳しい言い方をしていましたがスタッフの方の顔も映しているので気の毒な気がしました・・。

でもこの厳しさが宮崎の映画を支えているし、だからこそスタッフもついていくんですね。

06年冬。アトリエで絵を書き散らしながら構想をねりあげている。

06年5月。初めて構想をスタッフに明かした。

・・ポニョという人面魚が海という(大きなイメージ)のお母さんとフジモトというお父さんから生まれた。

イメージボードを作り映画を育てていく。少しずつ自分のイメージを開いていく。

アイディアを発想するときに大切にしている流儀。

「半径3メートル以内で仕事をする」

身の回りで出あったことをてこにして想像を膨らませる。

「となりのトトロ」はうらぶれた近所のバス停ガ物語の出発点になった。

今回の人面魚ポニョも身近なところで育っていく。

スタッフの愛娘、フキちゃんは1歳。今でも哺乳瓶で飲むミルクは自分じゃなくて人に飲ませて

もらわないと怒ってしまう気の強い子だとか。それが宮崎のお気に入り。

ポニョもわがまま。宗介が好きだからと町を津波で沈めてしまうくらいのエネルギー。

それでも宗介に会いにいく。恐いけどハチャメチャでかわいいヒロイン。

絵コンテではピラニアのように宗佑のサンドイッチにくらいつくポニョ。

絵コンテができるとアニメーターがアニメに描いていく。その線を全部チェック。

見ていてもかわいいすごい絵だと思うけど、宮崎が見ると生きていないみたいです・・ううん厳しい。

宗介とポニョの再会の重要シーン。ポニョの気持ちが反映されてないと自分で描き直した。

抱っこされたポニョが足を反り返らせ裾を膨らませることで気持ちを表現させた。

手直しの作業でキャラクターの深い理解につながり同時にその行動を想像していく。

わがままではちゃめちゃなポニョ。人間の世界でうまく暮らしていけるのか。将来が心配になった。

ポニョが人間の世界で生きていけるような何らかのシーンを挿入。

絵コンテ。ある家族と出会いサンドイッチを分けてあげる。初めて人に何かをあげるシーン。

子供にとっては大きな意味のあること。書きながらポニョのイメージが広がっていく。

赤ちゃんが変な顔をしているのに気づき、こねくりまわすポニョ。

ポニョが人間になったときちゃんと思いやりやいたわりを持っている子だというシーンを入れる。


スタジオの住吉さんは宮崎さんの作品は主人公のキャラがどんどん変わっていくという話をします。

脳科学的には絵コンテやボードに描いてしまうとイメージが固まってしまうという茂木さん。

普通なら自由度を失うのに、キャラを変えていけるのは宮崎さんのすばらしい能力だといいました。

二人で宮崎のアトリエを訪ねていきます。

自分の意思とは裏腹に最後の作品とならざるを得ないかもしれないという宮崎監督。

朝には絶好調でも昼にはぼろぼろになっている。年齢を感じているという話です。

健康管理。たわしで体をマッサージしたりストレッチして近所のゴミを拾ったり。

駅まで歩いてコーヒーを飲んでくる・・・。スタジオから出たら頭を空っぽにする。

家に着くまでバスを数える。絵コンテを出してくれました。色をつけたのは初めて。

絵コンテが画面になるとリアリティーが増えて行くと言う監督。

海のクラゲが上がっていく12秒用のシーン。クラゲがどこから来てどうやってあがるか。

そのシーンが手作業で一番手がかかった。そのためのカットがダンボールに入っていましたが

1613枚!びっくりしますねえ・・・。全部で17万枚・・・

手書きにこだわる理由は周りがコンピューターだから手書きが生きてくる。

宮崎駿のフイルムを出しています。天空の城ラピュタ、もものけ姫、千と千尋・・いろいろありますが

懐かしいのは魔女の宅急便かな・。

2005年ベネチア国際映画祭。受賞しても作り続ける監督。

1988年のとなりのトトロでは母が病気で死ぬかもしれないという怯えが出ていましたが、

それは宮崎の子供のころの投影だそうです。

昭和16年誕生。4人兄弟の次男。胃腸が弱くて20歳まで生きられないといわれた。

体が弱く劣等感のかたまり。6歳の時、母が病に倒れた。結核菌が脊椎を冒す病気で寝たきり。

勝気な母が寝返りすら打てなくなった。母におんぶをせがんだものの涙ながらに断られた記憶がある。

母に甘えることもできずいい子を装い、屈折していった。

「生まれてこなければよかった」

宮崎の心を癒したのは手塚治虫の漫画。むさぼるように本を読み絵を描いていた。

だから兄は普通のサラリーマンなどできないだろうと一番心配していたという。

高校三年の時にみた「白蛇伝」という日本初のカラーアニメ映画を見たことでアニメに魅かれていった。

大学卒業後に白蛇伝の会社に就職。宮崎の才能はずばぬけていた。新人とは思えない想像力が話題

になったという。先輩もこの人は凄いと思ったという。高畑勲と組み、話題作を生み出した。

33歳の時、「アルプスの少女ハイジ」子供の目線でカメラを低く、山の起伏を躍動的に。

「人を楽しませたい」

楽しんでもらえたら自分の存在が許されるから。

母は病気の後遺症で不自由しながらも宮崎の作品を楽しみにしていた。

宮崎は「自分の作品を作りたい」という欲求がうまれてきていた。

そこに監督の仕事が入ってきた。「ルパン三世 カリオストロの城」38歳、遅いデビューだった。

斬新なアクションシーンが専門家から高い評価を受けた。

しかし時はSFブーム。宇宙戦艦ヤマトなどが全盛期。監督にはそれっきり仕事がこなくなった。

企画を考えてはテレビ局に売り込んだ。オオヤマネコが人間に恋をするもののけ姫。

森に棲むお化けが活躍するとなりのトトロ。天空に浮かぶ城が登場する戦国魔城。

どれも採用されず酷評。あいつの企画は馬糞くさい。業界では見向きもされなかった。

テレビアニメで食いつなぎながら企画を出し続けた。

「人を楽しませることができなければ存在する意味がない」

焦りのなかでもがき続けていた。くたばるわけにはいかないけどアニメをとにかくやりたかった。

アニメの雑誌の編集長鈴木敏夫がやってきた。雑誌でマンガを掲載しないかともちかけた。

渋々引き受けた。

人を殺め心に傷を負ったナウシカ。マンガの人気が高まり映画の話が出てきた。

これが最後のチャンス。監督を引き受けた。

その矢先、母の訃報。病魔と闘い続けた72歳だった。死に目に立ち会えなかったという。

「風の谷のナウシカ」43歳の時の作品。

運命に負けず強く生きようとするナウシカの姿が共感を呼び91万人の動員。ヒットとなった。

その後の作品には母を幾度も登場させている。

天空の城ラピュタには海賊ドーラ。元気で男勝りだった母を重ねた。

となりのトトロの母は病気と闘いながら子ども達を見守る母。

ハウルの動く城のソフィーは気丈で優しかった母が投影されている。

優しくしようとするとついきつい言葉が出てくるような母だった。

今でも同じぐらいの人と話をして母を感じてみたいような気持ちになる。

亡くなった友人の話もしていました。鈍くさいやつだったからまだそのその辺を彷徨ってるかもしれない。

しょうがないからちゃんと家に連れて行ってやろうと思って病院まで行き、そこに友人がいるつもりで

エレベータも少しゆっくりあけたままに。車の助手席も空けてやってのせた。

家の前にきて「ここまできたらわかるだろう」と言って送り出した。自分のなかでけじめをつけた感じ。

それで気持ちが楽になった。

企画が通らなかった3年間はスタッフが最高に良かった時期。怒りがわいてくるそうです。

トトロは企画を出してから13年後に映画になった。引き出しに溜まり内容が豊富になっていった。

映画を作るとはどういうことですか?by茂木さん

楽しませられなかったら存在する意味がないというところにたどり着く。

一番嬉しいのは誰かが喜んだときですか?by住吉さん

千と千尋をアメリカで上映したとき、私の10歳はこんなステキな10歳じゃなかったといっていた。

報われたと思ったという。


「最後の挑戦」

ポニョ公開まで1年を切った去年の夏、アニメスタジオの社員用に作った保育園の上棟式。

すごい・・保育園も自前で作った!!子供達の思い出になるような建物にしたいと述べた。

物語は終盤。アニメーターの描いた絵が上がってくる。宮崎のチェックがはかどらない。

作業量は若いときの1/5.。疲労のせいでカットがたまっていく。

ある日苛立っていた。かつてともに作品を作り上げた仲間、奥山さんが亡くなったという。

仲間の死はひとごとではない。人生も映画もいつか終わりになる。

最後の幕をどう下ろすか・・・。

絵コンテは最後のワサビが足りないという難問があった・・。

ラストシーンの構想はあった。後半から宗介が成長していく物語。

ラストの前にもうひと山何かの場面を作りたい。

物語の本筋ではなく印象に残るシーン。

マッサージを受ける監督。疲労を和らげるために。宮崎は弱気になっていた。時間がないという・・。

お袋に会えるなら、一番可愛いかったときのお袋に会いたい。

ポニョの中にも母親の役を登場させていた。デイケアに通う気の強いおばあさんトキ。

秋になっても絵コンテは進まない。そのためスケジュールが詰まってきていた。追い込まれてしまった。

10/24.一冊のノートを見ていた。

セリフを読み、考え検討。5歳の子供がいうセリフにするためにオトナのつまらないセリフは捨てる。


12/3 映画の記者会見。歌の披露。♪ポニョ ポニョ ポニョ 膨らんだ♪

絵コンテを書いているが間に合いそうですか?by記者 「・・・笑・・・」

イメージソングを聞いてみる。

♪お迎えはまだ来ないからその前にちょっとだけ歩かせてもう一度だけ踊りたい、そよかぜになって♪

俺はおふくろを思い出してダメなんだ・・・涙

「母へ」

72歳で亡くなった母。病魔との闘いだった。やっと楽になれたと言ったという。

どうすればおふくろはもっと生き生きといきられただろうと思ったりする。

12/12 

宗介の前に謎の人物が立ちはだかる。バケツに入ったポニョを守ると宗介が逃げ出すというシーン。

そこに「宗介」トキが助けにやってくる。

12/18

アニメーターが描いたトキのカットを手にとった。

病気で幼い子供を抱くこともままならず晩年は歩くこともできなかった母。

本当にあることを描いていく。

12/26

締め切りまで一週間をきった。

宗介がトキに向かって走りだした。それを見てトキは・・・

歩けないはずのトキが宗介を心配するあまり立ち上がった。「宗介」

トキは走り始めた。驚くべき速さで階段を駆け下りる。「宗介おいで」と叫んだ。

12/28 年末の仕事納め。スタッフは掃除をしています。

宮崎は絵コンテ。

トキに呼ばれた宗介はトキにむかって飛んだ。

残りは決めのカット。母と最後にどう向き合うか。

トキは正面から宗介を抱きしめた。

08/1/5

餅つき。67歳になった。誕生日のケーキ。ぬいぐるみに入った湯たんぽをもらう。

絵コンテを描き始めて1年半。ハッピーエンド。

08年6月 映画完成。試写会。

涙・・涙・・・嬉しそうでした。

*****************

ただお母さんの姿を求めている監督にちょっと涙でした。

お母さんが抱っこしてくてもできなかったことを子供ながらも我慢し、それをずっと心に残していた。

最後の最後でトキが抱っこしたのは5歳の監督だった。


実は宮崎駿の映画は魔女の宅急便しか見てないのですが

ポニョを見に行きたくなりました。

きっと泣くだろうな・・・


90分、長かったけど、アニメの作り方も創作の仕方も勉強になりました。



次回は8/26 科学者 小池康博





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