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この本は2ヶ月ぐらい前に読みました。
ここ数ヶ月やや現実逃避癖がついてしまい、こういう本ばっかり読むようになっていましたが、

読んだ本自体は何年も前に発行されたものばかりで、

文庫本になって出ている新書を買って来ています。

いつか書こう書こうと・・随分たまってしまいました。

その中の一冊ですがまもなく東野圭吾の「流星の絆」がドラマ化されるので

同じ作者ということでちょっと紹介。

内容はとっくに忘れてしまっていますがあのときの怒りや悔しい感情は今でもよみがえります。



この本が書かれたのはあの少年犯罪事件があったころですね?

おそらくあれが契機になったかヒントを得たかという印象があります。


ちょっと復習がてらパラパラ見てみました。以下、ほぼネタバレ。



主役は娘を殺された父親@長峰。

最初は3人のカタカナ文字の少年がでてきます。

そして長峰の娘@絵摩が花火に浴衣を着て出て行く様があざやかに見え、

やがてこの子が少年たちによって被害者となっていく描写となります。

とても書きたくないシーン。これは未読の方でしたら実際に読まれるといいでしょう。

女の子を持つということはとっても心配だということにつきます。

自分の見える範囲から決してどこにもやりたくない、そんな気持ちになってしまいます。


そして、長峰はある匿名の電話により、警察より一足早く娘の被害状況を知ります。

忍び込んだ家でビデオを見つけ脳が破裂しそうな思いでしっかりと記憶に焼付け、

そして復讐へと向かうことになるのです。

それは犯人が少年だから。

現行の少年法では、娘や被害者家族が納得できる裁きは得られないことを知っているから。

この忍び込んだ家に、戻ってきた犯人の一人を怒りでいっぱいになった長峰は条件反射のごとく

衝動的にすぐに殺してしまいます。

何度も何度もめった刺しにし、急所を切り落としています。そして悟ってしまうのです。

「殺したところで、死体を切り刻んだところで娘を奪われた恨みの一万分の一も晴れなかった。

悲しみが和らぐこともなかった。

生かして反省させれば少しでもそれが果たせるのか。こんな人間の屑どもが反省などするものか。

・・・中略・・・

犯人への復讐を果たしたところで救われないことはわかっている。何も解決せず、明日も見えてこない。

だからといって果たさなければより辛い苦悶の日々が待っている。

地獄のような人生が死ぬまで続くにすぎない。

愛する者を理不尽に奪われた人間にはどこにも光はないのだ。」


こうして復讐の道を歩み始める長峰。

少年犯罪がこのような酷い犯罪だった場合、加害者が反省することなどないのは

あの事件からも過去の例からも明白です。

生まれ持ったその資質そのものが犯罪へと向かわせる、そういうものなんでしょう。

反省とか更正とか無縁の気質なのです。

なぜ法律が臨機応変に機能しないのか?

おそらく作者の狙いはここにあるのでしょう。


長峰は逃げも隠れもせず宣戦布告をします。

警察は感情の上では長峰に本懐を遂げてもらいたい。

しかし、組織としては犯人を守る立場にある。

この矛盾をつくというのもなかなかの手腕です。

マスコミの興味本位な取り上げ方。ニュース番組の無難なまとめ方。

マスコミこそ正しい報道を心がける必要があると無言で訴えています。


殺害した少年が死ぬ前に残した言葉により主犯の居場所を求めて長峰は動きます。

長野のペンション。

ここにいた和佳子の存在がひとつの読者代表のような形でしょうか。

この二人の交流が荒涼とした長峰の中では多少なりとも救いの存在だったことでしょう。


そして主犯の少年をこの手でしとめるはずの瞬間を、

警察の手によって長峰は永久に奪い取られてしまいました。



少年犯罪ほど悔しいものがこの世にあるはずがないのです。

恐らく犯人たちは犯罪を犯すだけの存在として生まれてきたのではないかと思うくらいの

そういう生まれながらにして犯罪者というのはあるんだろうと思うのです。

そういう野獣はもう人間世界に混じってはいけないのではないかというくらいの存在です。

しかし、少年であるということで守られてしまうこの矛盾。

そして長峰の刃は今もさまよっているのです。

復讐など意味をなさないと言いたいのでしょうか。

否です。

遺族に復讐が許される事は今後もないのです。

だからこそ長峰のこの悔しさを読者は知らないといけない。

少年法の壁が立ちはだかるかぎり遺族が平穏な日を迎えられる事はないということ。

犯罪にもさまざまなケースがあり、

真に裁かれるべき者を的確に裁く法を決断するときなのです。


そして、数ヶ月前、あの事件の判決が出ました。

遺族の訴えや、マスコミの報道が多くの人に訴えるものがありました。

この本もその一助を担ったかもしれません。

あの時から少し変わろうとした動きが見えました。

真に裁かれる者を正しく裁くことこそが法治国家の歩むべき姿なのです。



煮えたぎるほどの悔しさを覚えながら次へ次へと心急くように

あっと言う間に読み終えてしまったこの本でした。

未読の方はぜひお読みになってください。